五、「教会とわたしたち」(334)
4.近代の教会の夜明け―宗教改革とその後―
このときの翌年(1523年)1月に市参事会当局が両者による第一チュリッヒ討論会を招集した。この討論に先立ってツヴィングリはその提題として「六十七箇条」を執筆し公開した。半年後、ツヴィングリは、さらにこの問題について、「六十七箇条」の詳細な解説を公にした。この問題について長期の討論の始まりとなったのであるが、福音主義が始めて公的な立場を獲得したという意味では、一つの時期を画したことに意味があるといわねばならない。(ここまで前回)
ところで、福音主義によるチュリッヒ教会の改革が、ただ、教会の教理、教義の面での理解解釈の変更にとどまるはずがない。生活面での変更、改革を伴うばかりではなく、新しい生活形態を生み出すことになった。しかもそのような変革は個人の信仰の生活だけでなく、広く社会全体にも新しい社会形態を生み出さずにはすまなくなってくる。広く社会倫理道徳にも変化が現れて、その結果がともなった。祝福のある生活が人間の功績ある生活によらないで、信仰によるとなると、たとえば、修道院の生活行為そのもの、聖職者の独身制、特定の寺院への巡礼の制度、その中でも贖宥券(免罪符)の販売などはすべてその論拠を失うことになる。ほど得ずしてチュリッヒ市内の修道院は閉鎖され、寺院巡礼の廃止、聖職者達も結婚に踏み切り、ツヴィングリ自身もその一人であった。
このような衝撃波の表れが、翌年~(つづく)