日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2015-11-03 00:08:26 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(334)

4.近代の教会の夜明け―宗教改革とその後― 

このときの翌年(1523年)1月に市参事会当局が両者による第一チュリッヒ討論会を招集した。この討論に先立ってツヴィングリはその提題として「六十七箇条」を執筆し公開した。半年後、ツヴィングリは、さらにこの問題について、「六十七箇条」の詳細な解説を公にした。この問題について長期の討論の始まりとなったのであるが、福音主義が始めて公的な立場を獲得したという意味では、一つの時期を画したことに意味があるといわねばならない。(ここまで前回)

  ところで、福音主義によるチュリッヒ教会の改革が、ただ、教会の教理、教義の面での理解解釈の変更にとどまるはずがない。生活面での変更、改革を伴うばかりではなく、新しい生活形態を生み出すことになった。しかもそのような変革は個人の信仰の生活だけでなく、広く社会全体にも新しい社会形態を生み出さずにはすまなくなってくる。広く社会倫理道徳にも変化が現れて、その結果がともなった。祝福のある生活が人間の功績ある生活によらないで、信仰によるとなると、たとえば、修道院の生活行為そのもの、聖職者の独身制、特定の寺院への巡礼の制度、その中でも贖宥券(免罪符)の販売などはすべてその論拠を失うことになる。ほど得ずしてチュリッヒ市内の修道院は閉鎖され、寺院巡礼の廃止、聖職者達も結婚に踏み切り、ツヴィングリ自身もその一人であった。

  このような衝撃波の表れが、翌年~(つづく)


聖書研究

2015-11-03 00:01:27 | 大分中央ウィークリー

創世記21章32節である。「二人はベエル・シェバで契約を結び、アビメレクと、その軍隊の長ピコルはペリシテの国に帰って行った。」という。アビメレクは、20章1節で「ゲラルの王」と紹介されている。更に下って26章1節でイサクが交渉した「ゲラルにいるペリシテ人の王ゲラル」とは世代が違うので別人である。しかし「ペリシテ人の」というところは関係がある。

 

「ペリシテの国に帰って行った」という。後にこのゲラルの地方を拠点に出エジプトのヨシュアの時代、前12世紀ころからダビデの時代(前10世紀)に至るまでイスラエルを脅かす「海の民ペリシテ人」の遠い先祖であるとするのが最近の説である(フランシスコ会訳注1967)。資料説では時代が違いすぎるとするのが通説である。

 

33節である。「アブラハムは、ベエル・シェバに一本のきょうりゅうの木を植え、永遠の神、主の御名を呼んだ。」という。ここにわざわざ「一本のきょうりゅうの木を植え」とある。何か意味があったのであろう。しかし今日までそれに関する他に資料がない。残念ながら、正確な意味が不明である。しかしここ状況から判断して、契約のための主への信仰の証として自分の家の者達がいつまでも覚えるための記念の植樹かもしれない。つまりベエル・シェバの名と意識的に関連させて植樹をもう一つの証としたようである。

 

「永遠の神、主の名を呼んだ。」という「永遠の神」の呼び名は初めて登場する。ヘブライ語における「永遠(オーラーム)」は、「時間がない」という概念であり、限りない時間の長さをいう。われわれの時間感覚と平行も対立もしない。従って永遠の「今」である。この場合は、今、契約の保証をするという力強い神の働きをいう。