五、「教会とわたしたち」(335)
4.近代の教会の夜明け―宗教改革とその後―
しかもそのような変革は個人の信仰の生活だけでなく、広く社会全体にも新しい社会形態を生み出さずにはすまなくなってくる。広く社会倫理道徳にも変化が現れて、その結果がともなった。祝福のある生活が人間の功績ある生活
によらないで、信仰によるとなると、たとえば、修道院の生活行為そのもの、聖職者の独身制、特定の寺院への巡礼の制度、その中でも贖宥券(免罪符)の販売などはすべてその論拠を失うことになる。ほど得ずしてチュリッヒ市内の修
道院は閉鎖され、寺院巡礼の廃止、聖職者達も結婚に踏み切り、ツヴィングリ自身もその一人であった。
このような衝撃波の表れが、翌年(ここまで前回)1524年早々には、旧信仰に固執する者たちは市参事会員の職から追われ、チュリッヒは共同体全体としても福音主義支持の姿勢を明らかにした。同じ年の六月には聖画像が、市
内のすべての教会から撤去された。中世壱千数百年にわたって、文字を解することの出来ない一般信徒のために、信仰の手引きの役割を果たしてきた聖母マリアをはじめ、諸聖人の画像、聖遺物、またそれらを主題とするステンドグ
ラスなどはすべて姿を消した。今日的には考え難いことであるが、その当時の豪勢で派手なものとして見らながらも、ごく一般的であったオルガン演奏も禁じられた。音声での詩編歌を歌うのが主流となった。さらに諸聖人の祝祭日など
何百年にも渡ってカトリックの信徒の日常生活の習慣も一切停止された。~(つづく)