日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2016-03-16 00:39:40 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(353)

4.近代の教会の夜明け   ―宗教改革とその後―ツヴィングリ

 ツヴィングリの後継者をだれにするかで議論が深められ、最終的には、人柄が謙遜で温厚なJ・ハインリヒ・ブリンガー(1504~75)が選ばれた。1531年に逝去のツヴィングリの後継者として、チューリヒの大聖堂教会牧師になり、死ぬまで留まり、良くその職を務め、彼の大きな貢献は、ドイツ語圏スイスにおけるチューリッヒの聖餐論の神学的姿勢を崩すことなく、ジュネーヴのJ・カルヴァン(1509~64)の指導の下にあるフランス語圏スイスとも交流を密にして、スイス改革派の伝統を形成し、大陸各地やスコットランドのJ・ノックスなどのためにも安定的勢力としての改革派教会の力となった。(主な参考文献・宗教改革著作集第五巻・教分館1984年、出村彰編)(ここまで前回)

 いま、宗教改革に至る歴史を終了する。しかしこの後、現代までの歴史は、来年2017年にはルターのヴィッテンベルク城教会の扉に九五ヶ条の提題が掲げ宗教改革の大旋風(1517年)が巻き起こされて五百周年を迎える。その歴史を覚えながら、われわれはこの稿において近代から現代へと進む。スイス・ツヴィングリの時代のカトリックの信仰を固守した、いわゆる森林五州の一つ、ルツェルン州古都ルツェルン近郊のスールシーでカトリック信仰をもつ両親の元に1928年に生まれたハンス・キュンク氏の著「キリスト教思想の形成者たち」などを参考にしながら聖書の使徒パウロから始まった歴史を辿ることにする。(つづく)


聖書研究

2016-03-16 00:36:54 | 大分中央ウィークリー

創世記22章17節である。「あなたを豊に祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。」という。アブラハムの信仰に応える神は、神の恵みとして大いなる祝福と共に勝利の喜びに参与させられる。それが具体的に現れるのが、ここにいう「あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。」という。門は町に安全を与えるための要である。門はどこまでも平和を守る要である。

 

もし門が破られると大きな敵を呼び込むことになる。反対に、門が安全に機能している限り町は平和なのである。それゆえ門が、町の安全の象徴的建造物であり、町全体の支配権を現すことになる。そこで「あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。」という。軍事力によってではない。信仰に応えて神が雄羊を用意されたようにして、一つまた一つと、「敵の城門を勝ち取る」神の勝利の世界を拡げていくことになる。

 

18節である。「地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」という。前節の神の恩寵としての祝福部分の拡大である。これと同じ思想は、族長物語ではこの後26章4節のイサクに見られる。「わたしはあなたの子孫を天の星のように増やし、これらの土地をすべてあなたの子孫に与える。地上の諸国民はすべてあなたの子孫によって祝福を得る。」という具合に受け継がれていくのである(出32・13、イザ45・13「すべての膝はかがみ」)。

 

「主の山に備えあり」の祝福は14節で物語としては終わるのであるが、その継続性がここに確認される。伝統的に、このようにして、神の民の受け継がれていくというか、神によってこの約束が守られ、そのつど更新されて実行されていくのである。(つづく)


牧 会 通 信

2016-03-16 00:18:35 | 大分中央ウィークリー

 

ダンテの「神曲 地獄」編 第13歌(カッコ内は筆子、その2)  (原 光訳 2000年、沖積舎)

◯まだネッソ(恋に破れて死んだ男)が向う岸に着かぬうちに、わたしらはいかなる路の痕跡もない森に入りこんだ。

 森は緑でなく、暗い色をし、枝はすべすべとまつすぐではなく、節だらけで、ねぢくれもつれ、実はなく、毒ある刺があつた。

 チェチナとコルネトの間に棲(す)んで耕された土地を憎む、あの野獣たちもこんなにとげとげしく繁茂した茨の藪をもつてはゐない。(ここまで前回)

◯ここには醜悪なアルピアたちが巣食つてゐる、未来の禍について不吉な予言をしてトロイア人をストロファデから追出したものどもだ。

 その翼は幅広く、頸と顔は人間で、足には鉤爪があり、大きな腹は羽毛で覆はれ、奇怪な木木の上で悲しげに鳴いてゐる。

 親切な師は言つた、「もつと分け入る前に、ここは第二の環(かこい)だと知るがいい、恐ろしい砂地に着くまでは(つづく)           

 

◯2016年3月13日は第十一主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は「キリストの死と生にあずかる」という主題である。ローマ6章1~14節、その4節、「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。」といわれている。「死にあずかるもの」とはその昔、賀川豊彦という牧師は洗礼を授けるとき、「お前は死んだ」といって会衆の前で洗礼を授けた。人は、死んで復活の命に生きるのである。

◯写真の左端、大分中央教会で1年間礼拝した史栄龍兄(27歳、中国・四川州出身)とその仲間。史兄は3月6日礼拝後、送別の祈りと讃美歌に送られて帰国した。