日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2017-03-11 11:57:55 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(402)

近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その42)

   27.罪を避けるため自殺することは許されるか

しかし、もしだれかがこのような立場が健全だと他の人を納得させようとするならば、わたしはそのような人は愚かであるだけではなく、

気が狂っている(前回はここまで) わなければならない。いかにして人は他人に向って厚顔にも「蛮人のような主人である情欲の

絆の下に生きながらえ、かくして小罪に加えて大罪をまで犯すことのないよう、自殺してしまいなさい」と言えるであろうか。いかにして人

は罪を犯すことなしに、同じ人に向って「さあ、あなたの罪はすべて赦された。不潔な快楽によって汚され、言うべからざる残酷さに荒れ狂い、

恐るべき過ちと恐怖とに満ちているこの世に生きながらえ、同じような、あるいはそれ以上の罪を犯すことがないように、自殺してしまいなさい」と

言えるだろうか。そう言ってはならないからには、自殺すべきではない。もしも自決の正当な理由があるとすれば、

これ以上に正当なものはないはずであり、それが十分に正当でないからには、正当な理由というものはいっさい存在し得ないのである。

28.ではなにゆえに、神は敵が貞節な者をこのように取り扱うのを許されたのか。

キリストにある忠実な者たちよ。たとえ敵が

あなたがたの貞節を慰めものにしたからと言って、生きることを重荷に感じてはならない。

あなたがたに対して悪行を犯すことを許された者の罪に、(つづく)(「神の国」出村彰訳)


聖書研究

2017-03-11 11:54:41 | 大分中央ウィークリー

創世記24章25節である。「更に続けて、『わたしどもの所にはわらも餌もたくさんあります。お泊まりになる場所もございます。』と言っ

た。」という。もちろん、このリベカの答を聞くまでもなく僕はそうであろうと予測していた。リベカの言葉によって、自分自身の考えと一致して、

これこそ神の祝福であると確信した。従って、僕は感謝して、彼女「リベカ」のその言葉に従うことにした。何にもかも順調であるのに、

これこそ神の仕業であることを知って畏れを覚えたに違いない。

 

アブラハムの弟ナホルとミルカの間の八人の子は、イサクの従兄弟に当るから八番目の末の従兄弟ベトエルの娘がリベカである。

イサクからは、再従姉妹(はとこ)になる。そのリベカが、アブラハムの一人息子イサクの嫁に選ばれようとしている。近親結婚になるが、

この時代ではまだ離れている方である。ちなみにアブラハムの妻サライはアブラハムから見れば、「父の娘」腹違いの妹(創20:12)あった。

 

26節である。「彼はひざまずいて主を伏し拝み、」とある。彼、アブラハムの僕は、姿勢を正して祈ったのである。礼拝で牧師が祝祷をささげるとき、

大方の牧師は手を上げて祝祷する。祭司「アロンは手を上げて民を祝福した」(レビ9・22)によっていると思われる。ここでは「彼はひざまずいて主を伏し拝み、」と。

わたしたちにも祈りの時の姿勢があるとすれば、ここの「ひざまずいて」なのかも知れない。

 

とにかく、彼は事態の成り行きにあまりにも彼が祈った通りで、近くにいます神の御存在に気づき、畏れをなしたのであろう。祈りの時、

実際にはどんな姿勢でもいいが、もし姿勢を低くすることによって心が低くなれば、この姿勢が役に立つ。


牧 会 通 信

2017-03-11 11:48:55 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 16歌(カッコ内は筆子、その4)

◯裸身に油を塗つたレスラーが互に打ち突き傷つけ合ふ前に、相手を有利に掴む機会を狙ひながらするやうに、

そのやうにぐるぐる回りながらめいめいに顔をわたしに向けてゐたので、三人の内では頸(くび)と足が不断にぐるぐるしつづけた。

「この柔かい場所の悲惨、皮ズルズルに焼き焦がされた裸身のために、」と一人が口を切つた、「わたしらとわたしらの願ひは軽蔑されるでせうが、(前回ここまで)

◯わたしらの名声にそなたの心を曲げて、そのやうに安全に生きた足をひきずつて地獄を行く、そなたが誰か言つてほしい。

  わたしが足跡を踏みつけていくこのものは、まる裸で皮がむけているが、そなたが思つているよりも身分が高く、

  優れたクァルドラダ(フィレンツェの名門「ラヴィニアーニ」家)の孫だつた、名はグイド・グエッラ(フィレンツェで1272死)で、生きてゐたときに知恵と剣でかなりの働きをした、 (つづく)

 

 

◯本日、2017年3月5日の日本聖書協会「聖書愛読こよみ」の主題は「唯一つの目標」と。

聖書はルカ10・38~42、その41~42節、「主はお答えになった。『マルタ、マルタ、

あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。』」と。

さて、この御言葉に、皆さんはどう思われるか。人はみな、確かに多くのことを抱えて生きている。

しかし、その中で必要なものは、ただ一つという。それは何か。

◯写真は、集会室の君子ランが3月1日花芽をつけたのを発見。上に伸びて比較的大きな花を咲か

せる。名はランとつくが、ラン科ではなくヒガンバナ科。春に咲く花。葉はつつややかで一年中楽し

める。弱光乾燥に強い。原産・南アフリカ。