五、「教会とわたしたち」(403) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その43)
28.ではなにゆえに、神は敵が貞節な者をこのように取り扱うのを許されたのか。 キリストにある忠実な
者たちよ。たとえ敵が
あなたがたの貞節を慰めものにしたからと言って、生きることを重荷に感じてはならない。あなたがたに対して
悪行を犯すことを許された者の罪に、(前回はここまで)あなたがたは同意しなかったことを良心のうちに知っ
ているからには、あなたがたは真に大きな慰めを得ているのである。なぜ彼らがそのようなことを許されたのか
と尋ねるならば、あなたは世界の創造主で統治者である方の、すべてを支配する深い摂理を想起しなければ
ならない。「神のさばきはいかに窮めがたく、その道は測りがたいことであろうか」(ローマ一一・三三)。あなた
自身の魂を忠実に調べてみるがよい。あなたは処女や貞節や慎みを保つ美徳を理由として、いくらかでも誇り
高ぶったことがないだろうか。こうした理由で友人たちの賞賛を受けて喜び、他人を軽蔑したりすることがな
かったであろうか。
わたしは事情も知らずに咎め立てしようとは思わないし、あなたの良心がこれらの問いにどう答えるかもわか
らない。しかしながら、もしも肯定的に答えねばならない場合には、あなたが人を喜ばせる力があるとして大切
に考えていたものを失い、人々の目には見えないものを持ち続けたからと言って驚いてはならない。
他方、自分の貞節を決して誇ったことがないと信じている (つづく)(「神の国」出村彰訳)