五、「教会とわたしたち」(419) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後)
はじめに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その59)
最終篇に入ります。
第二十二篇 神の国の永遠の浄福に
1. 天使と人間の創造について
このことは盲目が欠陥であり、目は見るために造られていることを示す。盲目は目があらゆる器官の中で、光
を受けるに最も適したように造られていることを示す。もしそうでなければ、見ることができないということは欠
陥をではないことになるであろう。そのように、神を喜びとするように造られている本性そのものが、神を喜びと
しないときの惨めさにおいて顕わにされる欠陥そのものにより、本来は善なるものとして造られていることを示
しているのである。神は自らの意思に基づく天使の堕罪に対し、永遠の悲惨という正当な刑罰を宣せられた。
なる状態に留まった者に対しては、その堅忍への報いとして、終わることのない保持の確かさを与えられた。
神は人間を(前回はここまで)確かに地上的被造物としてではあるが、しかも自由意志を備え、創造主に固く
留まる限りは、天にふさわしい・正しいものとして造られた。それゆえに、同じ理由によって、神を捨て去る場合
には、これに相当する刑罰が加えられるのも当然である。同じように、神は人間が神を捨て、罪のゆえに神の
掟てを破るであろうことを予知しておられたが、そのような行為を行う力を人間から奪い取ることをされなかっ
た。それは、同時に神はどのような善を悪からさえ作り出すことができるかを(つづく)(「神の国」出村彰訳)