日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2017-11-01 01:01:33 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(434)

近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その74)

  最終篇に入ります。

第二十二篇 神の国の永遠の浄福に

  7.この世がキリストを信じるに至ったのは、人間的な説得の結果ではなく、神の力の結果である。

 8.この世をキリストの信仰へと獲得するためになしとげられ、世界が信ずるに至った今でもなされている

   奇跡について。

  いったいだれが神をほめたたえずにおれようか。全教会は隅々まで喜びと感謝とに涌き返った。ある人が走って来て、まさに始まろうとする行列を待って座していたわたしにこれを告げてくれた。それから、次々とやって来ては、別の人が前に述べたことをそれぞれ教えてくれた。わたしも喜びに加わり、神に対し静かに感謝をささげていたところへ、若者も大勢の他の人々と一緒に(前回はここまで)やって来て、わたしの足許にひれ伏した。わたしは彼を立ち上がらせ、口づけした。わたしたちは教会を満たした会衆に加わった。会衆には讃美の声がこだましていた。「神に感謝せよ。主をほめたたえよ」。みなの人が叫んでいた。わたしが人々に声をかけたところ、人々は前よりもいっそう声高く叫び出した。ようやく静粛が取りもどされたとき、聖書の教えが厳粛に朗読された。

  わたしが説教をする時刻になったとき、わたしはこのような折に適し、また起こったばかりの喜ばしい出来事にふさわしいような短い勧めを行った。かくも雄弁な神の行為に面しては、他の人がそれについて語るのを耳にするよりは、それぞれが(つづく)(「神の国」出村彰訳)


聖書研究

2017-11-01 00:57:01 | 大分中央ウィークリー

創世記24章59節である。「彼らには妹であるリベカとその乳母、アブラハムの僕とその従者たちを一緒に出立させることにし、」といいます。イスラエルの高貴な家では嬰児が乳母によって育てられるというのはめずらしくない。モーセもそうであった(出エ2:7他)。一番興味深い話は、乳母が嬰児の王子を神殿の一室に匿って6年間も過ごして王の血統を守ったという話がある(王下11:1~5)。

 

ここでは乳母、その名は「デボラ」(35・8)を同行させた。リベカの嬰児の時から死ぬまで乳母として仕えた。この時のイサクは40歳(25・20)でありその後20年間子供が生まれず、イサク60歳の時(25・26)に双子が生まれた。その名をエサウとヤコブ。ヤコブが長子(25・33)となって、そのヤコブの世まで仕えたことになる。

 

60節である。「リベカを祝福して言った。『わたしたちに妹よあなたが幾千万の民となるように。あなたの子孫が敵の門を勝ち取るように。』」とある。ここで「敵の門」の「敵」は、「憎む者(シャラー)」である。組織的な「敵(アヤーブ)、22:17」」ではなく、個人的な「憎む者」の言葉が使われている。女性としての「敵」にはいろいろ多種多様であって内面的な「敵」をその子孫にも予想しているのかもしれない。

 

ただここの場合の祝福は、リベカの即興的な快諾に対する祝福であって、どこの社会にもあるような花嫁を送り出すときの習慣的なものとして用意されていたものかもしれない(ルツ4:11~12)。この祝福について、カトリック側の註解書、フランシスコ会の解説書では、「彼女の多産と子孫の繁栄を祈る別れのあいさつである」といっている。リベカの即答的な決断に対する近親者らの喜びばかりではなく一種の不安をここに含めているのかも知れない。しかし僕の影響を受けて主なる神に委ねる心が見える。


牧 会 通 信

2017-11-01 00:40:30 | 大分中央ウィークリー

 (原 光訳 2000年、沖積舎、)

ダンテ(1265-1321)の「神曲 地獄」編 18歌(その8)

◯かう話してゐると悪魔が革鞭でその霊を打つて言つた、「行け、女衒(ぜげん)めが!ここに騙(だま)される女はゐないぞ。」

  わたしは先達と一緒になつて、それから僅かな歩みで、崖から一つの岩礁が伸び出てゐるところに着いた。

  わたしらはかなり楽にそこに登り、右向きにごつごつしたその背の上を歩いて、あの永遠に取囲む岸壁から別れた。(前回ここまで)

◯鞭打たれるものたちを通すために下が空洞になつてゐるところに来ると、先達が言つた、「立止まつて、悪く生れついたあのものたちの眼が

  まつすぐそなたに出会ふやうにせよ、わたしらと一緒に進んでゐたので、そなたはまだあのものたちの顔を見なかつたからだ。」

  わたしらは古い橋から凝視した、内側をわたしらに向つて来る列を、これもひとしく革鞭で追立てられてゐた。(つづく)

◯本日、10月29日(日)の日本聖書協会の聖書本文はローマ5・1~11で、その主題は「信仰の先達」と。その3~4節、「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」といいます。わたしたちの先達は皆このようにして活躍して来たのです。わたしたちも同じ心掛けで生きる幸いを受けて活躍できます。またその生活体験と幸いを得るのがキリスト教会の大いなる恵みです。ぜひこの心がけで毎日働いてください。

写真は去る10月17日(火)前十時から東京都新宿区下落合(JR目白駅)の日本聖書神学校202号教室で平和憲法がどうして生み出されたかについて昭和天皇の関わりを資料から解き明かされた笹川紀勝講師(前方中央・憲法学者)。