日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2017-11-14 16:47:28 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(436)     近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その76)

  最終篇に入ります。

第二十二篇 神の国の永遠の浄福に

  7.この世がキリストを信じるに至ったのは、人間的な説得の結果ではなく、神の力の結果である。

  8.この世をキリストの信仰へと獲得するためになしとげられ、世界が信ずるに至った今でもなされている

     奇跡について。

  男女の全会衆は兄妹を目のあたりにしたが、兄はしっかりと立っているのに、妹は全身震えているのに気が

ついた。神の憐みが兄のためになしたことを自分で見なかった者たちも、その妹を見ることによってこれを知る

ことができた。人々は兄のゆえに感謝を捧げ、妹のために何を祈り求むべきかを知った。読み終えると、わた

しは二人に(前回はここまで)立ち去るように命じた。それから、わたしは注意深く出来事全体を論じ始めた。

わたしがまだ話を続けている間に、新たな讃美の声が寺院の方向から聞こえて来た。

 

  会衆はわたしを残してそちらへ走って行った。少女が立っていた階段を下りて、殉教者の廟の前に行き祈っ

ていたようである。彼女の手が手すりに触れるやいなや、彼女も倒れて眠っているようになり、起き上がったと

きには完全に癒されていた。いったい何が起こったのか、この喜びの叫びは何を意味するのか尋ねていると、

会衆は彼女とともにわたしのいた教会へもどって来た。連れてこられた彼女は全く健やかになっていた。

  そのとき、 (つづく)(「神の国」出村彰訳)

 


聖書研究

2017-11-14 16:44:52 | 大分中央ウィークリー

創世記24章61節である。「リベカは、侍女たちと共に立ち上がりらくだに乗り、その人の後ろに従った。僕はリベカを連れて行った。」という。リベカには大いなる希望の時であり、アブラハムの僕にとっては、主人アブラハムとの約束を果たさせていただいた感謝と喜びのときであったと思われる。何よりも神への信頼と信仰と強くしたに違いない。

 

しかし、人の人生は単純ではない。複雑怪奇であるといえるかもしれない。しかし懼れることはない。主なる神が支配しておられる世界であることを深く理解できるかが問題である。神が人の人生の全てを支配している。神のみ心がどのように現われるのか、アブラハムの僕が祈りつつ、明確な決断と行動をしていたようであった。

 

62節である。「イサクはネゲブ地方に住んでいた。そのころ、ベエル・ラハイ・ロイから帰ったところであった。」という。「ネゲブ地方」は、ヘブロンの南方に横たわる放牧地帯(「山地」または「傾斜地・荒れ野」、ヨシュア10・40,12・8)であり、イサクがそこに住んでいた。「ベエル・ラハイ・ロイ」の呼び名はこの創世記では二度目である。16章14節にアブラハムのそばめエジプト人の女奴隷ハガルがヘブロンから約120キロ南方に逃れて来て、御使いに出会った場所にあった井戸の名前が「ベエル・ラハイ・ロイ」で、多分それが地名となったのであろう。「カデシュとベレドの間にある」とある。

 

「カデシュ」は地図では「カデシ・バルネア」という。「ヘブロン」から「ベエルシバ」を経て「カデシュ」と南のエジプトに向ってハガルの逃れる路が、この山地(あるいは傾斜地)に通じていたようである。今、イサクが何の目的で120キロも遠方から戻って来たのか不明であるが、リベカと出会うための神の配慮(御心)を現すのであろう。


牧 会 通 信

2017-11-14 15:04:03 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎、)

ダンテ(1265-1321)の「神曲 地獄」編 18歌(その9)

◯親切な師はわたしの質問を待たずに言つた、「いま来るあの偉丈夫を見ろ、どんな苦痛にも涙を流さぬらし

い。

  なんとまだ王者らしく見えることか!あれは勇気と智謀で、コロキス(黒海)人から金羊皮(「壮羊」)を奪つ

たヤソン(神話に名高い勇士)だ。

  あれは無謀で残酷な女たちが男という男をみな殺しにした、レノの島(エーゲ海)へ渡り、(前回ここまで)

◯そこで惚(ほ)れた仕草と飾り立てた言葉で、島の女たちをみんな騙していた娘、イシフィレを騙 し、

  身重になるとそのまま棄てていつたのだが、その罪でこんな責苦を受けているのだ。それにがメディアの復

讐もなされてゐるのだ。」(つづく)

 

◯本日11月12日(日)の日本聖書協会は聖書本文はルカ15章1~7節で、その主題は「失われた者の

救い」である。その7節「悔い改める一人の罪人」とは、だれのことか。「一人の罪人については、悔い改める必

要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」というが。

 

写真は、11月1日(水)午前中の祈祷会後、秦博記長老のお車で、去る10月29日に開館したばかりの竹田

市キリシタン研究所・資料館の展示遺品を見学。

写真の右は迫害以前のマリア像。中央上はマリア香炉(直径十㎝)中央下はモンゴルからの十字架が刻まれ

た輸入遺品、薬品入れと煙管。迫害以前、安土山時代遺品。写真左、迫害時代、鏡の中央をはぐと黄マリア

像。神戸・田中豁(ひろし)先生寄贈.