五、「教会とわたしたち」(444) 5.近代から現代へ(宗教改革とその後」
初めに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その84)
最終篇に入ります。
第二十二編 神の国永遠の浄福
17.よみがえりにおいて女性はその性のままでいるので(前回はここまで)あろうか。
これらの言葉や、「わたしたちすべての者が、…
…全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至る」(エペソ四・三)といった語句のゆえに、あ る 者らはこう考える。すなわち、女たちは女性としてよみがえらず、すべて男となるであろう、なぜならば、神は男を土のちりから創造されたが、女は男から創造されたからである、と。しかし、わたしには両性ともそのままでよみがえると考える者たちの方が正しいように思われる。天においては、わたしたちの堕罪の原因となったあの性的欲望は存在しないであろう。堕罪の前には、アダムとエバは裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。それだから、〔よみがえりの時には〕彼らの肉体は罪から自由になるであろうが、それぞれの本性はそのままに残るであろう。
女の性そのものは自然的なもので、罪はない。来るべき世においては、女性は共に棲み、子を産む義務から解放されるであろう。女性の器官はかつての役のためにではなく、新しい栄光の役に立つものとなるであろう。もはや欲望をかき立てることもない。なぜならばそれは存在しないからである。しかして、神の知恵と慈しみが賛美されるであろう。神は無から被造物を造り出されただけではなく、その創造された被造物を罪から解放されたのである。人類の始原に当たって、神は眠っているアダムの脇(つづく)(「神の国」出村彰訳)