日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2018-01-19 00:23:38 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(444)     5.近代から現代へ(宗教改革とその後」

初めに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その84)

  最終篇に入ります。

 第二十二編 神の国永遠の浄福

17.よみがえりにおいて女性はその性のままでいるので(前回はここまで)あろうか。

これらの言葉や、「わたしたちすべての者が、…

…全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至る」(エペソ四・三)といった語句のゆえに、あ る 者らはこう考える。すなわち、女たちは女性としてよみがえらず、すべて男となるであろう、なぜならば、神は男を土のちりから創造されたが、女は男から創造されたからである、と。しかし、わたしには両性ともそのままでよみがえると考える者たちの方が正しいように思われる。天においては、わたしたちの堕罪の原因となったあの性的欲望は存在しないであろう。堕罪の前には、アダムとエバは裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。それだから、〔よみがえりの時には〕彼らの肉体は罪から自由になるであろうが、それぞれの本性はそのままに残るであろう。

 女の性そのものは自然的なもので、罪はない。来るべき世においては、女性は共に棲み、子を産む義務から解放されるであろう。女性の器官はかつての役のためにではなく、新しい栄光の役に立つものとなるであろう。もはや欲望をかき立てることもない。なぜならばそれは存在しないからである。しかして、神の知恵と慈しみが賛美されるであろう。神は無から被造物を造り出されただけではなく、その創造された被造物を罪から解放されたのである。人類の始原に当たって、神は眠っているアダムの脇(つづく)(「神の国」出村彰訳)


聖書研究

2018-01-19 00:20:48 | 大分中央ウィークリー

創世記25章25章2節である。「彼女は、アブラハムとの間にジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュアを産んだ。」という。六人の誕生の可能性は、イサクの誕生の神の特別な干渉と同じである。この四番目のミディアンは、ヤコブの子ら11人の兄弟に嫌われ、銀20枚で売られたヨセフを連れ去ったのはミディアン人の商人であったという因縁がある(37:28)。この6人はそれぞれアラビヤの遊牧民として聖書には隊商としての活躍が見られる(出3・1,士6~8章など)。 

歴代誌上1章32節の「アブラハムの側女ケトラが産んだ子は、ジムラン~」の記事があるにもかかわらず、あえてこの時代には子供の出産は、アブラハムに関する限り、神力干渉説が有力であるが、決定的な決め手としては、創造の秩序との関係で後日の文献学的研究および考古学的研究の成果を待たねばならないであろう。現段階では、歴代誌の研究が21世紀に入って盛んになっているのでその成果を待ちたい。 

3節である。「ヨクシャンにはシェバとデダンが生まれた。デダンの子孫は,アシュル人、レトシム人、レウミム人であった。」という。2節ではケトラの子として活躍している四番目のミディアンを紹介したが、ここでは曾孫の活躍である。その二番目の子すなわち「ヨクシャンにはシェバとデダンが生まれた。デダンの子孫は~」という。 

デダンから生まれた三人の曾孫の活躍の紹介である。三人の曾孫は個人名ではなく、先のミディアンが「ミディアン人の商人」(創37・28)と呼ばれていた。これらの呼び名は隊商としての集団名のようで「アシュル人、レトシム人、レウミム人であった」。隊商形成して活躍していた。イザヤは彼らを「デダンの隊商」(21・13)と呼んでいる。


牧 会 通 信

2018-01-19 00:14:07 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎、)    ダンテ(1265-1321)の「神曲 地獄」編 19歌(その3)

◯中で溺れてゐたもののために、その穴の一つをわたしが壊してから、まだ多くの年が過ぎてはゐない、これがみんなの誤解を晴らす確証となるやうに。

 すべての穴の口から罪人の足がふくらはぎまで突出てゐて、外の部分は中に入つてゐた。

 すべてのものの足裏が左右とも燃えてゐて、薪を束ねる若枝も綱も断切つてしまふほど、激しく関節がのた くつてた。前回はここまで)

◯炎は油を塗られたものの表面をめらめらと這つていくだけなのがつねだが、みんなの踵から爪先までもさうだつた。

 「師よ、外の仲間たちよりも激しく苦しみのたくつて、ずつと赤い炎に舐められている、あれは誰ですか?」とわたしが言ふと、

  師は答へた、「あの下の堤を通って、わたしに下へ連れて行つてもらひたければ、あのものの口から身の上と罪が聞けるだらう。」(つづく)

◯本日2018年1月14日の礼拝主日を迎えました。日本聖書協会の「聖書愛読こよみ」の主題は「成熟する信仰」です。その聖書本分はⅠコリントの3章1~9節です。そのその6節。「神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。」という。律法の文字ではなく、主イエスの十字架の罪の赦しを信じ、イエスの復活の命にあずかって生きることを,霊は(人)を生かす。」と。これぞ本物の命で人が生きる。成熟の人ここにある。

写真の左上の手鏡は、竹田市の「竹田キリシタン研究所・記念館」に展示された超逸品。十字架像が金色の

背景に良く映えている。実は十字架像は鏡面を剥したので見えたもの。