日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

聖書研究

2018-01-19 00:20:48 | 大分中央ウィークリー

創世記25章25章2節である。「彼女は、アブラハムとの間にジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュアを産んだ。」という。六人の誕生の可能性は、イサクの誕生の神の特別な干渉と同じである。この四番目のミディアンは、ヤコブの子ら11人の兄弟に嫌われ、銀20枚で売られたヨセフを連れ去ったのはミディアン人の商人であったという因縁がある(37:28)。この6人はそれぞれアラビヤの遊牧民として聖書には隊商としての活躍が見られる(出3・1,士6~8章など)。 

歴代誌上1章32節の「アブラハムの側女ケトラが産んだ子は、ジムラン~」の記事があるにもかかわらず、あえてこの時代には子供の出産は、アブラハムに関する限り、神力干渉説が有力であるが、決定的な決め手としては、創造の秩序との関係で後日の文献学的研究および考古学的研究の成果を待たねばならないであろう。現段階では、歴代誌の研究が21世紀に入って盛んになっているのでその成果を待ちたい。 

3節である。「ヨクシャンにはシェバとデダンが生まれた。デダンの子孫は,アシュル人、レトシム人、レウミム人であった。」という。2節ではケトラの子として活躍している四番目のミディアンを紹介したが、ここでは曾孫の活躍である。その二番目の子すなわち「ヨクシャンにはシェバとデダンが生まれた。デダンの子孫は~」という。 

デダンから生まれた三人の曾孫の活躍の紹介である。三人の曾孫は個人名ではなく、先のミディアンが「ミディアン人の商人」(創37・28)と呼ばれていた。これらの呼び名は隊商としての集団名のようで「アシュル人、レトシム人、レウミム人であった」。隊商形成して活躍していた。イザヤは彼らを「デダンの隊商」(21・13)と呼んでいる。


牧 会 通 信

2018-01-19 00:14:07 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎、)    ダンテ(1265-1321)の「神曲 地獄」編 19歌(その3)

◯中で溺れてゐたもののために、その穴の一つをわたしが壊してから、まだ多くの年が過ぎてはゐない、これがみんなの誤解を晴らす確証となるやうに。

 すべての穴の口から罪人の足がふくらはぎまで突出てゐて、外の部分は中に入つてゐた。

 すべてのものの足裏が左右とも燃えてゐて、薪を束ねる若枝も綱も断切つてしまふほど、激しく関節がのた くつてた。前回はここまで)

◯炎は油を塗られたものの表面をめらめらと這つていくだけなのがつねだが、みんなの踵から爪先までもさうだつた。

 「師よ、外の仲間たちよりも激しく苦しみのたくつて、ずつと赤い炎に舐められている、あれは誰ですか?」とわたしが言ふと、

  師は答へた、「あの下の堤を通って、わたしに下へ連れて行つてもらひたければ、あのものの口から身の上と罪が聞けるだらう。」(つづく)

◯本日2018年1月14日の礼拝主日を迎えました。日本聖書協会の「聖書愛読こよみ」の主題は「成熟する信仰」です。その聖書本分はⅠコリントの3章1~9節です。そのその6節。「神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。」という。律法の文字ではなく、主イエスの十字架の罪の赦しを信じ、イエスの復活の命にあずかって生きることを,霊は(人)を生かす。」と。これぞ本物の命で人が生きる。成熟の人ここにある。

写真の左上の手鏡は、竹田市の「竹田キリシタン研究所・記念館」に展示された超逸品。十字架像が金色の

背景に良く映えている。実は十字架像は鏡面を剥したので見えたもの。


プロテスタントとカトリック

2018-01-10 14:38:40 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(443)

 5.近代から現代へ(宗教改革とその後」

初めに、近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その83)

  最終篇に入ります。

 第二十二編 神の国永遠の浄福

      14.赤子がそのよみがえりの際に持つのは、もし彼らが死なずに成長すれば有したであろうような

            体であろうか。

     赤子については、彼らがよみがえるのは彼らが死んだときの(前回はここまで)ような小さなからだではなく、時が経過したならば有するに至ったであろうようなからだを、神のすばらしい・瞬間的なわざのゆえに受けるであろうということ以外に、何を言わなければならないだろうか。……

     15.よみがえりの際には、すべての死人の体は、主キリストのからだと同じ大きさになるのだろうか。 

     16.聖徒らが神の子の姿に似たものとなるだろうというのは、どのような意味であろうか。

    「神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めてくださった」(ローマ8・29)という言葉は、内なる人に関わりがある。他の箇所でも、「あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ心を新たにすることによって、造りかえられ……」(ローマ一二・二)とも言われている。わたしたちが造り変えられるのは、この世と似たものとなるためではなく、神の御子と似たものとなるためである。……

    17.よみがえりにおいて女性はその性のままでいるので(つづく)(「神の国」出村彰訳)


聖書研究

2018-01-10 14:34:53 | 大分中央ウィークリー

創世記25章1節である。「アブラハムは、再び妻をめとった。その名をケトラ~。」と。ここで、127歳で世を去った妻サラとの間に生まれた一人息子のイサクが、ここにリベカと結婚したその後、ケトラとのアブラハムの結婚の話である。 

しかしアブラハムはこの時、あまりにも高齢であった。妻サラが死んだとき彼は、137歳であった。しかもイサクの嫁探しの時、24章1節、「アブラハムは多くの年を重ね老人になり」という。従ってこの話はイサクの誕生と時が平行していた時代のものとするのが学者の諸説である。しかしそうではなく聖書のサラの死後38年間の神の出来事としたい。 

25章2節である。「彼女は、アブラハムとの間にジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュアを産んだ。」という。六人の誕生の可能性は、イサクの誕生の神の特別な干渉と同じである。この四番目のミディアンは、ヤコブの子ら11人の兄弟に嫌われ、銀20枚で売られたヨセフを連れ去ったのはミディアン人の商人であったという因縁がある(37:28)。この6人はそれぞれアラビヤの遊牧民として聖書には隊商としての活躍が見られる(出3・1,士6~8章など)。 

歴代誌上1章32節の「アブラハムの側女ケトラが産んだ子は、ジムラン~」の記事があるにもかかわらずであるが、あえてこの時代には子供の出産は、アブラハムに関する限り、神力干渉説が有力であるが、決定的な決め手としては、創造の秩序との関係で後日の文献学的研究および考古学的研究の成果を待たねばならないであろう。現段階では、歴代誌の研究が21世紀に入って盛んになっているのでその成果を待ちたい。


牧 会 通 信

2018-01-10 14:27:45 | 大分中央ウィークリー

 (原 光訳 2000年、沖積舎、)    ダンテ(1265-1321)の「神曲 地獄」編 19歌(その2)

◯おお、至高の智慧よ、天と地上と悪所において、おんみはなんという技術(たくみ)を示し、なんと公正におんみの力を配分していることか!

 わたしは斜面と底(ひく)いちめんに、みんな同じ広さで丸い孔(あな)でいつぱいの鉛色の石を見た。

それはあの美しいサン・ヂョヴァンニ(聖ヨハネ)の洗礼泉として造られた、穴より狭くも大きくもないやうに見えた。前回はここまで)

◯中で溺れてゐたもののために、その穴の一つをわたしが壊してから、まだ多くの年が過ぎてはゐない、これがみんなの誤解を晴らす確証となるやうに。

 すべての穴の口から罪人の足がふくらはぎまで突出てゐて、外の部分は中に入つてゐた。

 すべてのものの足裏が左右とも燃えてゐて、薪を束ねる若枝も綱も断切つてしまふほど、激しく関節がのたくつていた。 (つづく)

◯本日、2018年1月7日の新年礼拝の主日を迎えました。日本聖書協会の「聖書愛読こよみ」の主題は「祝福の契約」といいます。その聖書本分は創世記9章1~17節です。その11節。「~わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」という。そしていわれる、この契約のしるしに、「雲の中にわたしの虹を置く」(13)と。何と素晴らしい世界かを知ってほしい。

写真は、2017年末、横浜と千葉からの二人の娘と孫一人の合計5人は28日に大分川の源流になる湯布院の金鱗湖に。冬の金鱗湖は温水の湯気立つ静かな水面であった。午前9時30分頃、撮影。