標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

ガンダムファンの息子と鍋を囲みながら、日本酒「作(ざく)」を飲む。(写真を追加)

2019-02-26 21:35:37 | 日記
息子が訪れてきた。予めうまい日本酒を持っていくからねというメッセージがあった。われわれ親子は、アルコールは弱い。昔から燃費がいいのか、すぐ赤くなるという体質だ。しかし、各種酒の味は美味しいと思う。

息子から、これだよと見せられた時は、へぇーと思っただけで、銘柄や中身について全く気に止めなかった。


息子の手土産、「作」。

夕食時改めて、持ってきた720ml瓶が食卓にのった。
息子が「作(さく)って書いてザクと読む。伊勢志摩サミットでも提供された酒。ザクは、ガンダムに搭乗するロボットの名前だ。ガンダムファンには知られている」と言いながら栓を開けた。グラスに注ぎ、乾杯と言いながら口に含んだ。口当たりがよく美味かった。妻は最初は飲まないと言っていたが、少しと言って口に含むや否や、「何てフルーティーなのか!」と驚いていた。「何かフルーツが入っているの? もう少し頂戴」と続ける。
瓶を手に取ってラベルを見たが純米大吟醸だ。

調べると、「全米日本酒鑑評会 2018」で準グランプリ獲得とのこと。三重県鈴鹿市の蔵元が作っている。もともと、この地域は鈴鹿山脈からの清冽な伏流水が得られ、伊勢平野からは酒の原料である米が豊富に手に入り、さらに造った酒を江戸や大坂へ輸送するための海上交通の港もあり、酒造りにおいての「地の利」にとても恵まれた土地柄とのこと。

かつては酒蔵が並び繁栄していたが、現在では清水清三郎商店が鈴鹿市で唯一の造り手とのこと。
そして、需要が減少する日本酒業界の流れに逆らえず、製造量も一時は全盛期の20分の一近くにまで減少したという。

こんな状況の中、2000年に、蔵元が生き残りを賭けて新ブランドをデビューさせた。そして、その名は「作」。「さく」ではなく「ざく」と濁って発音した。濁点を付けたことで、後に蔵元が全く予想しなかった展開を迎えたという。


アニメ「機動戦士ガンダム」の中に登場するザクと呼ばれるモビルスーツ。この「作(ざく)」というネーミングにガンダムファンが反応したとのこと。

蔵元の社長は、ガンダムは殆ど知らなかったが、ガンダムファンの漫画家が、その作品の中で、「作」(ざく)を紹介するなど、ガンダムファンに日本酒「作」が広まっていったとのこと。

このブログを書いているうちに、食事とともに飲んだ「作」の酔いが冷めてきた。また、飲みたくなった。私はガンダムファンではないが、日本酒「作」のファンになるのかもしれない。
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43万人の沖縄県民の意思を大切にしよう。皆で米軍基地のあり方を考えるチャンスだ。

2019-02-25 19:40:15 | 日記
昨日行われた沖縄県民投票は、「反対」が7割を超え43万人だった。安倍晋三首相やトランプ米大統領に結果を通知すると定められた投票資格者総数の4分の1(28万8398票)を大幅に超えた。玉城デニー知事は安倍首相とトランプ米大統領に速やかに結果を通知する方針とのこと。

安倍首相は、「・・・今回の結果を真摯に受け止め・・・」といつもと同様の言葉を並べつつ、工事継続のスタンスを明確にしている。
しかし、辺野古移設は、県民の多くが反対している。自然破壊を誘発している。沖縄県民の生活を脅かしている。このことを沖縄県民だけでなく、全国民で基地のあり方や平和な社会作りについて考えるチャンスだと思う。

沖縄県は移設コストが当初予算の10倍に膨らむと試算しているとのこと。これに対して、防衛相は「地盤改良でコストが増える可能性はあるが、そこまではかからないと考えている」と根拠のない安易な見解を述べている。

また、今回の投票結果が、今年4月の衆院沖縄3区の補欠選挙や夏の参院選に波及するのかどうか、与野党間で早くも様々な思惑が出ているという。各メディアの思惑も判を押したように政争に向いていくのだろうか?

いずれにしても、与野党とも今回の結果を、単に安易に選挙に勝つなどの政争の具にしないで欲しい。43万という沖縄県民の気持ちを大切に、米軍基地のあり方をはじめ平和な社会づくりに向けて、与党も野党も真剣に取り組んで欲しい。
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悲喜さまざまな“記憶”を大切にされ、我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈る天皇陛下。それに比べ、政権側の「記憶にございません」が多いことよ。

2019-02-24 20:40:48 | 日記
昨年の森友・加計学園問題は、国会での官僚発言の「記憶にございません」により、うやむやになったままだ。そして、今年も“統計不正”が国会で論議され、行政に対して、官邸が指示したのではないかという疑惑が出てきている。そして、官僚の答弁はまたしても、「記憶にございません」だ。


人は、記憶の積み重ねで人生を歩んでいるといっても過言でない。悲しいにつけ喜ばしことにつけ、記憶があるから、悲しさや喜びを感じる。中には、心理的ショックや事故等により記憶を失う人もいる。また、取捨選択して忘れ去られる記憶もある。

しかし、そもそも、国会で答弁する官僚は、優秀なはずだ。キャリア官僚は、国家公務員上級試験を受け合格したのだ。少なくとも記憶力は良いのではないか。でなければ上級試験は合格しない。なのにこんなにも「記憶にございません」が多発するとは? 今回の統計不正に関しても、官邸と官僚が関わったという“メール”が存在するにもかかわらず、肝心なところでは記憶にないという。

官僚や政治家の方々に、望みたい。記憶を辿って、良否にかかわらず真実を明らかにして、正すべき点は正し論議して欲しい。

今日天皇在位30年式典が行われ、天皇陛下がお言葉を述べられた。陛下は常に、過去の記憶を大切にされ、象徴とは何かを希求しておられた。
今日のお言葉の中にも数々の過去の記憶があった。次に幾つか引用させていただく。
「日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちました」
「気候変動の周期に入り、我が国も多くの自然災害に襲われ、また高齢化、少子化による人口構造の変化から、過去に経験のない多くの社会現象にも直面しました」
「国の安寧と人々の幸せを祈り、象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました」
「象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く」
「被災地の哀しみを我が事とし、様々な形で寄り添い続けてきた全国の人々の姿は、私の在位中の忘れ難い記憶の1つです」

そして、今日のお言葉の最後は、「我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」であった。

天皇は、つねに「象徴としての天皇像を模索」され「(その)道は果てしなく遠く」と語る。憲法の遵守に勤められ、奢ることなく真摯に対応されている。

平成最後の国会で、官僚も政治家も、天皇陛下のように真摯であって欲しい。
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森の中での作業で見つけるゴミ。プラスチック、缶など。そして、動物たちの痕跡、気配。

2019-02-23 21:07:14 | 日記
森の中で作業をしていると、枯れ枝、枯れ葉や白骨化した木の根っこに混ざって、プラスチック容器、袋などやその破片がある。また、空き缶もあるが、林の中にあるものはアルミよりもスチール製やブリキ製の方が目立つ。錆びついたものが多く、年月を感じる。多分この地域が開発された20数年前のものだろう。

さすがに紙類はほとんど見つからない。紙類もたまにあるが、最近のものでどこからか風で飛んできたのだと思われる。

いずれも自然に帰らないこれらのゴミをみつけると、鳥などの生き物の内蔵に入らないように、家に持ち帰り地域の収集ゴミの中にいれている。

ゴミとは違うが、大きな樹の下に動物のウンチらしきものがこんもりと溜まっているのをみかける。山を知る人によると、タヌキの糞塚だという。ほとんど人の入らない森なのに、周囲とは異なり、明らかに土や落ち葉などが踏まれ押しつぶされた状態だ。その状態が一筋になっている。けもの道だ。

この森の中で今まで見た動物は、タヌキ、リス、サル、野良猫、そして鹿だ。また、幸い姿は見たことはないが、イノシシもいる。また、数年前だが、この森と繋がっている小さな沢の対岸の山には熊が出たこともある。この森も歩いていたかも知れない。

地を歩く動物ではないが、初夏の夜、暗闇から「ホホー、ホホー」とフクロウの鳴き声が聞こえる。この鳴き声を聞くと一瞬背筋がゾッとするが、じっと聞き入ると味わいがある。夜トイレに起きたときに聞くこの鳴き声は、好きだ。他の音は全く聞こえない。顔を回転させながら暗い森を独り占めしているフクロウの姿を想像するとおもしろい。
森の中で作業をすると、こうした動物たちの気配が感じられる。楽しいものだ。

最近、頻繁に森に入り作業をしているので、今年の夏は、フクロウの鳴き声が聞こえるかどうか心配だ。その頃は森での作業は終わりにしよう。
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レジ袋とマイバック、マイバスケット。そして、はやぶさ2の着陸成功。

2019-02-22 23:00:22 | 日記
今日の「チコちゃんに叱られる」で、何故レジ袋ができたかについて放送していた。
多摩川梨の梨狩り農園が発祥という。当時うどんが30円だがストッキングが400円だった1960年代のこと。梨狩りで刈り取った梨を持ち帰るのに、当時は竹で編んだかごを使っていた。しかし、籠がストッキングを履いた足に当たると、いわゆる伝線してしまう。そこで、袋メーカーに頼み、梨を入れる袋を開発してもらったという。

そのポリエチレンで作られた袋が、一般の小売店に取り入れられ、通称レジ袋として広がったそうだ。

その後、この袋は家庭でもごみ入れ袋として使われるなど、便利に使われている。しかし、近年ポリ製品は自然環境破壊につながるとのことで、レジ袋の使用を抑制しようと、有料化などの対策をしている。マイバックを持参すると値引きをするスーパーなどが増えている。

わが家では、10年ほど前からマイバックなどを使っている。車の荷室には常にマイバスケットとマイバックが積んである。また、外出時に携帯する妻のショルダーバックには、必ず折りたたんだ携帯用のマイバックが入っている。


マイバック


マイバスケット。あるスーパーのロゴ入りだったが、どの店でも使えるように手書きで「マイバスケット」と書いてある。

チコちゃんでも、レジ袋以前の買い物のシーンで流れていたように、我々の幼いころ、母は豆腐を買う時は金ボールを持って、豆腐屋に買いに行った。八百屋でも魚屋でも品物を新聞紙にくるんで売ってくれた。それらを母は籠にいれて家に持ち帰ってきた。妻の回想だが、よく引き売りが来ていたという。今のように引き売り用の車というより、三輪車だった。

私も思い出した。大きな籠に入った野菜などの品物を大きな風呂敷に包んで、背中に背負った行商人が来ていた。富山から毎年同じ人が、荷物を背負って薬の行商にきていた。子供のころの私は、紙風船を貰うのが楽しみだった。今でもわが家には、置き薬がある。本社が富山県にある製薬会社だが、車でやってくる。

物売りではないが、リヤカーで廃品回収業者が来ていたことも思い出した。
そういえば、子供のころ私が住んでいた地域では、牛が大八車を引いていた。道に落ちていた牛尾の糞のイメージは今でも鮮明だ。

ところで、今朝、はやぶさ2が「リュウグウ」に無事着陸した。リュウグウは地球からおよそ3億4000万kmの距離にある。2014年に打ち上げられたはやぶさ2は、4年数か月の旅をしてリユウグウに着陸した。はやぶさのスピードは速いのだが、宇宙時間からみるとゆっくりだ。私の幼いころは、新幹線もなかった。リヤカーが移動手段だった。生活範囲も狭く、移動するにも時間がかかった。はやぶさ2のように長い時間をかけて、第一目標を達成した。

レジ袋を考え直すと同じように、たまには時の過ごし方を、昔のようにゆったりとした、または、はやぶさ2の旅のように、長いスパンで過ごしてみたいものだ。
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