標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

部下をかばおうとして負傷し亡くなった自衛隊員の勇気と愛に敬意を表す

2018-01-26 19:22:40 | 日記

はじめに草津白根山噴火で亡くなられた陸上自衛隊員の伊沢隆行さんに、哀悼の意を表します。
また、奥様や4人のお子様には、深い悲しみを抱いておられると思います。おかけする言葉もありません。悲しみを乗り越え、伊沢さんの生きていた証を胸に、今後の生活を送られることをお祈りするばかりです。

伊沢さんは、噴石から部下の隊員をかばおうと上に覆いかぶさったところ、背中に噴石が直撃したとのこと。
きっととっさのことなので、躊躇せずこの行動を行われたのだろう。何んと勇気と愛のある行為であったか! 誰もが瞬時に動けるような行動ではないかもしれない。身を挺して部下をかばうという行為と伊沢さんには、敬意と尊敬を表します。

話題がかわるが、
この噴火のニュースと並行して、相模原障害者施設殺傷事件が起きてから26日で1年半が経ったという記事(神奈川新聞)があった。拘留中の植松被告と新聞記者とが、2回の面会と11通の手紙のやり取りをしたという。被告は「社会へ問題提起」という身勝手な動機とそれに対する識者の意見が述べられている。ここでは、それらの課題に対する意見を述べるのではないが、記事の中に私の気に止まった記述があった。

それは、「・・・(被告は現役時代)入浴介助の時に、溺れそうになった入所者を助けたことがあった。そして、どうして助けたか、わからない、という。・・・」という記述だ。

被告は余りにもむご過ぎる犯罪を犯していて、その動機については「自分は間違っていない」と言い張っているという。しかし、それほどに自己主張の強い被告が、"助けた"という行為に対して、"わからない"というのはどうしてだろうか?

被告を弁護する意図は全くないが、被告にも、当時は危急時の事態に直面し、無意識の行動の中に、"救い"という意志が一瞬かもしれないが、現れたのではないか。
被告は、殺戮を肯定する自分を主張するがために、自身のなかにある"人を救う"という部分を、わからないという言葉や意図で閉じ込めているのではないかと?

今後、裁判で被告の行為が裁かれるであろうが、"人を助けた"という自身を呼び出し、認知してほしい。そして、事件について反省し、被害者とその家族に対して謝罪し、罪を償ってほしいと願う。
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