標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

“平和”と“思いやり”と“感謝”の象徴としての平成天皇

2018-12-23 20:03:24 | 日記
85歳の誕生日を迎えられた天皇陛下が、お言葉を述べられた。
昨夜から各メディアで16分に渡るお言葉を評価して、解説されている。私は天皇の語られる言葉の重みに感慨深いものを感じた。

憲法の第1章第1条では、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」となっている。しかし、今回、天皇が発せられたお言葉は、強い平和への願いと戦争や災害への憂い、そして被災者へひざまづきながらのねぎらいの声かけ、国民への感謝などがあった。

象徴としての天皇を受け入れ、象徴としての天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行ってこられたと述べられた。常に“平和”を願い、国民一人ひとりに対してだけでなく、外国人への優しい“思いやり”も示されていた。

憲法第4条には「(天皇は)国政に関する権能を有しない」とある。つまり、政治に関わってはいけないとある。あるコメンテイターは、次のお言葉を暗に“外国人労働者受け入れ”のことに触れているので政治的な発言ではないかととらえる節もあった。

「日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国からわが国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています」

残念ながら、先の国会で“外国人労働者の受け入れ”に関する入管法の改正が、中身が曖昧のまま成立した。法案を提出した与党は、急場しのぎの外国人労働者受け入れとしている。一部の意見ではまるで奴隷として受け入れる対応ではないかと危惧している。
天皇もこの経緯を心配されたのだと思う。日本から外国への移民がその社会の一員として受け入れられた。そのように温かく迎えようではないかという天皇の“思いやり”が述べられた。
このお言葉は、思いやりであって、決して“国政への権能”ではないと思う。
むしろ、今の政権こそ“主権が国民に存する”ということを忘れて政権こそが“権力”を思うままにしているのではないか。

政権側は憲法を改正したいようだ。もし、改正するならば、平和を希求した9条に手を付けるのではなく、今回の天皇のお言葉を前文として追加したらどうだろうか。

今の前文は文語体だ。昭和21年に公布された時代の反映となっている。今回のお言葉は、口語体で語りかけるように、憲法の交付後72年の日本の歩みが多く含まれている。誰にでも理解しやすく戦後の歩みが分かる。

お言葉は真剣に誠実に象徴たる努力をされた結果、天皇こそ“平和”“思いやり”“感謝”の象徴となられたのだと思う。将来への人々に残しておきたいお言葉だ。
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