標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

ノーベル平和賞が意味する平和を考える

2017-10-08 19:31:56 | 日記
連日、日本人・日本に関するノーベル賞受賞で報じられている。ICANがノーベル平和賞を受賞した。喜ばしい評価だ。被爆者の強い平和への願いを評価されているといえる。でも、現実の世界を見ればこれは平和な世界への出発点に過ぎない。


10月7日付 朝日新聞より

1888年、アルフレッド・ノーベル氏の兄リュドビック氏がカンヌにて死去した。新聞がアルフレッドの死去と取り違え、「死の商人、死す」と報道。爆薬や兵器で富を築いたノーベル氏には批判の声も上がっていた。自分の死亡記事を読む羽目になったノーベル氏は困惑し、死後自分がどのように記憶されるかを考えるようになったとのこと。ノーベル氏の遺言に従って、遺産を「過去 1年間に人類に対して最大の貢献をした者」に毎年、物理学、化学、生理学・医学、文学と平和の5分野に授与されることになった。最初の授与は1901年12月10日のノーベル氏の命日に行われた。経済学賞は後にスウェーデン国立銀行によって設けられたものとのこと。

ノーベル氏の真意はともかく、毎年この時期になると、それぞれの分野のノーベル賞が発表される。他の分野は個人が対象だが、平和賞は団体にも授与される。世界中でノーベル賞は誰が、授与されるかと話題になっている。発表前に実名を挙げて期待を込める。決定後は予想外だったなどの声が漏れる。期待が外れた場合は、次年度にまた期待が繰り越される。しかし、誰になるのかは発表当日にならないと分からない。平和賞以外の分野は、業績に対する評価となっているが、平和賞は必ずしも過去の業績だけでなく、現在の活動、理念等も対象となっているようだ。

従って平和賞は、歴史の流れ、現在の活動などに左右されそうだ。選考基準等の矛盾やブレの良否は別の機会にゆずるが、平和を推進する現在の理念を評価するのは、重要であると思う。

ノーベル氏は、晩年、心臓病が悪化した際、医師によりニトログリセリンの使用を勧められたが、拒否したという。ニトログリセリンによって人の命を奪ってしまった。それによる延命を躊躇したのかもしれないとのことだ。

私は長年次のように理解して来た。「ノーベルという人は、危険なダイナマイトを発明し、戦争に使われ多くの人命を奪っていた。この反省から平和を願って自分の財産をノーベル賞として託した」。これは小学校の頃、得た知識だ。この通りだったか、私のフィルターがそうさせたのか、定かでない。しかし、少なくとも「平和を願うという理念」と「過去の過ちを反省する」という二つは、ノーベル平和賞に限らず何人も実践すべきことではないだろうか。

私論として飛躍するかもしれないが、平和を希求するには、ノーベル氏の“反省”というキーワードが重要だと思われる。人は意図しないで過ちを犯す可能性がある。人は謙虚に“反省”し、修正する力も持っている。修正することができるので、戦争から平和に方向転換できるのではないだろうか。修正後を評価する寛容さも必要だ


わが国の憲法の前文に、次のように述べられている。
「・・・政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、・・・(中略)・・・われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」とある。

日本は、戦前の政府(明記していないが読み取れる)の行為によってもたらされた戦争を反省し惨禍を起こさないと述べている。そして、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去するとなっている。

残念ながら、現在のアメリカや日本は、単語は違うが圧迫とほぼ同義語の「圧力」を持って、北朝鮮に立ち向かおうとしている。これも憲法の趣旨に反する。憲法では圧力を地上から永遠に除去しなければなら旨が主張されている。つまり、前文や条文に述べられている国民主権、平和、幸福を求める理念は大切にしたいものだ。

ノーベル氏がどの程度平和を願っていたかは、今になっては分からない。ノーベル平和賞の意味付けは、時代の流れにそって変わるかもしれない。しかし、ぶれてならないのは、平和の希求だと思う。自国の主張を押し通すことや他国との対立でなく、平和的解決を全世界は求めているのだと思う。このような意味で、今回のノーベル平和賞は、ノーベル氏の願いだけでなく、戦後の歴史の流れを汲んで授与されたと思える。しかし、世界は未だに激動している。それ故に真摯に反省をしつつ平和を希求する理念はぶれてはならないと思う。

今こそ、時には”反省”ということを謙虚に捉え、未来志向で平和を実践する時ではないだろうか? 空論かもしれないが、アメリカ、ロシア、中国などの核保有国はもとより、北朝鮮やイランも含めて、核を開発したことを反省し核を放棄したら、ノーベル平和賞を授与するという新たなルールを設けたらどうだろうか? 
果たして各国は、賛同するだろうか? 
恒久平和とは夢なのだろうか?
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