みみずのたわごと

多忙老人の独り言

シルバーウィークの過ごし方(2)

2015-09-30 14:45:00 | 独り言
 秋田3日目、今夕から47年ぶりの同窓会の朝、同級の友人と欠席の(同窓会に出たくない同級生)の家に行ったが不在のため、秋田港にあるマリンタワーで落胆のお茶を飲む。地上100メートルの展望台まで無料です。ここでも風力発電をしています。


 秋田市方向の街並み。後方に太平山が見えています。


 こちらが秋田駅方向。


 17時から始まった47年ぶりの同窓会。参加者15名。


 二次会もセットされています。


 秋田4日目。
 お堀越しに見る秋田県立美術館。


 美術館正面。藤田嗣治の作品が展示されています。



                       ≪秋田の行事≫
 2階のロビーからの眺め。


 1階の屋根がプールになっているので、道路が隠れ、対岸の城跡公園が見えます。


 城址公園へと向かう道。左右に蓮の生い茂る堀がある。


 秋田名物の「ババヘラ」路上でのアイスクルーム売りのおばさん。


 懐かしの秋田県民会館。高校の文化祭や多くのイベントが行われる。左の建物は以前は図書館だったが今は市民会館になっている。


 千秋公園へ入り階段を上ると久保田城の表門が見えてくる。


 復元されたお隅櫓。秋田市の北と西側が良く見える。


 佐虫送ソ館の展示物の一つ「孟子」。これなら行燈の灯りでも読めそうだ。


 公園内にある料亭。ここは桜がきれいなので花見で一杯やりたいものだ。


 先ほどのババヘラのおばさんがいた広小路に戻ってきた。

 
 地域放送のサテライトスタジオ。秋田は美人が多いし愛嬌がある。


 「こまち」で東京へ帰る。昔ジーゼル特急「つばさ」の時代は上野まで7時間かかった。今は東京まで4時間弱。


 2代目の「こまち」。鼻先がピラルクーのように細長くなった。





シルバーウィークの過ごし方(1)

2015-09-30 12:18:00 | 独り言
 シルバーウィークというものが何時からかあったらしく、今回は第二の故郷の秋田へ初めての「こまち」で帰った。東京駅からは青森新幹線の「はやぶさ」と連結するので早い(?)そうです。




 成程、鼻っ面が開いてがっしりと握手していた。




 大宮からでも席がまばらであったが。仙台で降り、盛岡で降りして秋田到着の時にはこんな有様であった。老婆心ながら経営状態を心配せざるを得なかった。後で知ったが連休は下りより上りが混むようで、この日も帰る日も逆方向の「こまち」は満席だった。




 盛岡から奥羽山脈を越えて田沢湖を巡り、大曲でスイッチバックして逆方法で秋田へ向かうのだが、この路線に入ってからスピードが遅く通常の電車並みの速さに思えた。
東京から仙台まで1時間半。盛岡まで2時間20分だが、そこから1時間40分かけて秋田であった。




(17年ぶりなので私にとっては)新しい秋田駅。右が新幹線、左が在来線の改札口。




 駅前のショッピングビルから改札までャロードで中を通って行けます。冬には特にありがたいと思います。



 翌日男鹿線(昔は船川線といった)に乗って男鹿半島へ向かいます。学校に毎日この線を使って通っていましたが、当時と気動車の形式こそかわりましたが、同じ単線の非電化線のままです。




 途中下車して中学時代の友人の消息を尋ねに彼の実家に立ち寄ります。
寒風山と水田の風景は昔と変わりません。ここは日詰の踏切。




 1時間に1本の次の列車に乗り、終点の男鹿に着きました。




 男鹿半島の観光地なのですが観光客は一つ手前の羽立駅で降りていました。




 駅舎は外観リフォームしたようですが、建物そのものは56年前に初めて降り立ったものと変わりません。当時は立ち蕎麦と売店がありましたが、今はどちらもなくなりました。




 友人宅の先はさっき乗ってきた線路。正面に寒風山。右の堤防まで海が来ていてこの上に座って釣りをしていました。台風が来ると通過する気動車に堤防を越えた波がかかっていましたが、今は埋め立てられてしまったので海が見えた時の感動がなくなりました。




 自宅近くから見た船川港町の一部。人口も5万人から3万人に減り、知人もその親たちも故郷を離れている(私も含めて)。秋田県は高齢化率と過疎率が国内のTOPだというが。




 この急坂は雪が積もると(自動車も少なかったので)このあたりの子供たちが、この坂道のてっぺんから車の通る車道まで、そりに乗ってぶっ飛ばしていました。




 船川港町の商店街の一部。当時唯一の洋菓子屋さんで、バタークリームのクリスマスケーキを注文していた「ゴンタロー」。




 ここでの友人の消息も分かったので帰りの汽車に乗る。




 ボックス席から長椅子席に列車も変わっている。男鹿まで秋田からちょうど1時間780円。




 夕方に秋田に戻り、久保田城(今は千秋公園)のお堀のわきを歩いて帰ります。




 カトリック秋田教会に寄ってみました。ここは新潟教区に属し、神言修道会(ドイツ)の司祭が務めています。、




 この教会にもボーイスカウトがあり、秋田県で最も古い秋田第一団です。高校生の頃この団の指導者にはお世話になりました。




 祭壇に柵(ガード)がある御聖堂も今は少なくなりました。



(無題)

2015-09-03 09:56:00 | 独り言
 このところぐずついていた小雨も一時上がった30日の日曜日、ここ不動商店会の「ハッピーまつり」と調布市主催の「ちょうふよさこい」とが共同開催されました。

 仮設のステージでは各団体の演技が繰り広げられます。

 第5、第7中学校の七福神混声合唱団。



 調布北高のヒップホップダンス部。



 仙川のバレエ教室による彩羽の演技。



 ウルトラマンXショー。



 女性たちによる殺陣。



 戦豆の猿回し。



 ラムネ早飲み大会。



 地元のお囃子連。



 模擬店も多数出店。鳥文のやきとり。¥100



 あつあつのフランクフルト。



 ほたての産地直送。¥350



 お肉の多いやきそば ¥200





 販売員は若くて元気揃い。



 子供の喜ぶキックターゲットは東京ヴェルディ。



 小雨が降ってきた中での大抽選会。47インチテレビや電動自転車が当たります。



 お店の前を旧甲州街道流し踊りが通ります。



 雨にはたたられたものの、例年並みの模擬店売り上げは確保できました。
天気が良ければ生ビール、酎ハイ、ジュース、かき氷がもっと売れたことでしょう。

(無題)

2015-09-01 15:31:00 | 独り言
 通天閣へ行ってみようと地下鉄を降りて新世界に入る。ジャンジャン横丁とは開高健の小説『日本三文オペラ』に出てきた、アパッチ族のたむろしていた場所らしい。



 てんぷらも安く庶民的な東京の浅草のような感じの所だ。



 坂田三吉のような将棋士が集まっていた。



 大阪名物立体似顔絵看板(これは動かない)。朝からお酒を一杯やっていても不思議でないユートピアだ。



 ドキッとする看板が目を引く。



 ここでやっと通天閣が見えてきた。小間物店が並んでいる。



 なんでもお手頃価格で楽しめます。





 上も下も「ピリケン」さん。1908年アメリカの女流作家が夢で見たユニークは神様をモデルにした通天閣の守り神だそうです。



 大衆娯楽の舞台や、



 昔懐かしい日活ロマンャ泣mの上映館。入れ替えなしで一日つぶせます。



通天閣

2015-09-01 13:44:00 | 独り言
 通天閣に登ってみました。真下は車の通る道路なので、脚元の入口から地下に入り横に並立するエレベーターで先ずは2階の昇降階まで行きます。。



 展望台へのエレベーターまで趣向を凝らした展示物(販売が目的ですが)の間を通ります。

 通天閣は100年前のルナパークという遊園地から始まるそうで、現在2代目の設計者は東京タワーと同じ内藤多仲氏です。



 この界隈どこででも見かける「ビリケン」は通天閣の守り神だそうで、その足の裏に触ると願いがかなうとか。足の裏の絵馬?に願い事を書いていました。



 ミュージアムと銘打った展示スペースには昭和時代の懐かしモノが展示されています。真ん中ののロボットは子供のころに買ってもらったものと似ていたので懐かしくなりました。(中野のブロードウェイにもありました)



 商売の大阪だけあって何かとお金(小銭)を使わせるように趣向をこらしています。外貨は元が多くありました。



 84メートルの展望台からは大阪の街が一望です。



 目の前には天王寺動物園(象やキリン、フラミンゴなどは良く見えたが、入園者は見えなかった)とその後ろに阿倍野ハルカスが見えます。





 新世界の賑やかな通りを地下鉄動物園前へ戻ります。
看板が3Dなのが大阪の特徴なのか多いです。大きなフグの提灯は十字路の真上にまで出ています。(注:大阪ではふぐのことを鉄砲と言います。その心は:当たると死ぬから。)



 あちらこちらに宗教のようにビリケンの金色の偶像が目立ちます。



 スパワールド(世界の大温泉)の階段を上り通天閣とはお別れです。



 新大阪までの電車からは今大阪で人気No.ワンの梅田スカイビル(空中庭園)が見えました。