みみずのたわごと

多忙老人の独り言

京都最終章

2010-05-28 12:43:00 | 独り言
● 金閣寺、正しくは鹿苑寺。御所北西の盆地の縁にあるので足利義満の夏の別荘でした。23年前の金箔貼替えで輝いています。この位置は修学旅行者や外人観光客などでごった返していて1秒ほどしか確保できなかったので近景を入れることは無理でした。





● 知恩院 (東山区林下)

 この三門は南禅寺に引けをとらない雄大さです。寺院への拝観料はありません。
来年は法然上人800年大遠忌なのでその準備に入っています。

  『 月影のいたらぬ里は なけれども
         ながむる人の こころにぞすむ 』

注約:月の光は誰にでも注いでいるが、月を眺める人以外にはその美しさは解らない



 日本三大梵鐘の一つ。どうやって坂の上の鐘楼まで運んで吊り下げたか不思議です。



 本堂(御影堂)の庇の下に棟梁だった左甚五郎が魔よけのために置いて行ったという唐傘の頭が除いていました。また550メートルの廊下はうぐいす張りになっています。





● 京都 おはし工房 (左京区花園)

 おはしの専門店です。箸は身長や体重に合わせて(手の大きさと力が異なるから)慎重に選ぶとは知りませんでした。硬い木ほど先端が細く出来るので小さなゴマ粒までつかめます。
ちなみに黒檀や紫檀で1万5千円でした。  





● 大覚寺、正しくは 旧嵯峨御所大覚寺門跡 (右京区嵯峨)

  嵯峨天皇の孫の親王(女性)が入ったので門跡、南北朝時代に南朝の御所になったのでその名があります。



 古流、草月流に対して嵯峨御流の活け花の家元(?)です。



 御所だけあって海に例えられた白妙の広い庭には舞楽用の舞壇もあります。



 廊下の床板には釘の頭が見えません。板の裏側のミゾにL字金具を打ち込み、その端を釘で固定しています。古くなるとその釘と金具が緩むので歩くと音がするウグイス張りとなるそうです。知恩院の本堂北側縁側もそうでした。我が家の床も今は鴬張りになっています。



 老夫婦を引率してその仲人をした家庭にお世話になった4日間でした。皆親しい間柄でしたがやはり疲れました。年なのでしょうか。

京都の穴場?

2010-05-27 17:30:00 | 独り言
■上鴨神社の東にある大田神社のかきつばたは平安時代から
有名です。何しろ藤原の俊成が

 『神山や大田の沢のかきつばた深きたのみは色にみゆらむ』

               と詠んでいるからです。






 ちなみに神山(こうやま)とは上鴨神社の御神体である裏にある円錐形の山のことです。
下は下鴨神社の立砂でご神体の神山を表しています。




■ 木屋町と三条通りとが交わる近くに瑞泉寺があります。
鎌倉の瑞泉寺は水仙で有名ですが、ここは豊臣秀次一族の菩提を弔うために建てられた寺です。




 豊臣秀吉は甥である豊臣秀次を関白にまで引き上げましたが、
淀君が生んだ実子(?)秀頼の後継者としての地位を守るために秀次一族を全て惨殺しました。
男児4名、女児1名、正室・側室・侍女など女性34名の計39名を当時三条川原の中洲だったこの地で衆人環視の中処刑しました。
子供達や女性方の遺骸が刑場の脇に掘られた大穴に投げ込まれ、その上に塚が築かれ頂上には秀次公の首を入れた石櫃を据えて三条大橋を往来する人々の見せしめにしたようです。



     辞世の句を集めています。 


■ 南禅寺の朝

   ホテルから近いので毎朝6時頃から朝食前に散歩しました。8時前頃から観光客が見え始めます。大きな大きな三門。この上で石川五右衛門が『浜の真砂は尽きるとも~』とこれも辞世の句だったのか。



 すぐ横にはインクラインが残っています。市内の運河から荷舟をレールの台車に乗せて引き上げ、琵琶湖疎水と高さを同じにして舟を通しました。

運河(下の池)から幅広のレールが2対見える。今立っている橋をくぐって東山を越えて琵琶湖に出ます。



 レールを上っていくと展示用の台車とその上に舟も見えます。(上から下を見ています。)



 琵琶湖からの水を利用できたので近くに日本最初の水力発電所も残っていました。



京都雑記

2010-05-25 13:10:00 | 独り言
 京都の市街地は北から南にかけてやや下り斜面になっている。だから北を上がる、南を下るという。四辻の場合はここ御所の南西角交差点は、南北の烏丸通りと東西の丸田町通りの交差点だから「からすま・まるたまち」となるが、地元っ子はふざけて「からす丸々太る町」と言っている。



 三条大橋東にある尊王思想家・高山彦九郎が皇居(御所)を望拝する像は市民からは間違って土下座しているように見えるので、待ち合わせ場所(京阪三条駅なので)として「三条土下座前」で親しまれて?いる。



 市内を流れる疎水には比叡山の最高峰の修行僧「阿舎利」が渡る細い阿舎利橋があるが、地元のおばさんも通っていた。川面にはアオサギが餌を探していた。



 京都の観光地人気 No.1:清水寺、No.2 は金閣寺だそうだが、金閣寺はすごい混み様で中学生の修学旅行(タクシーチャーター案内付きのグループ行動)、小学生の修学旅行、韓国高校生の修学旅行、中国の観光客、世界中の旅行者、ジャパン高齢者の皆さんなどでごった返していた。最近はここでもレンタル着物を着た中学生達が不器用に歩いていた。



 鴨川上流の大田神社前には北大路魯山人の生家跡があった。



 魯山人と言えば焼き物と食道楽で有名だが、京野菜などが揃う錦町市場は観光客で賑わっていた。地元の人も行くが価格はやや高目のようだ。



 京ならではの漬物も多く人気だ。



 京都には珍しい10階からの東山。鴨川の向こう、左の白い観音の胸像が霊山観音、sその右に八坂の塔、右上に清水寺。この山の向こうは琵琶湖だ。



 こちらは京の西のはずれ嵯峨野。この辺りは歴史的風土(景観)保存区域なので昔の里山の風景が残っている。電信柱が無いのに気が付きましたか。



幕末の京都

2010-05-24 16:42:00 | 独り言
 京都は平安の都であったと同時に近代日本に転換させた血みどろの舞台でもあった。
八坂神社の東山斜面にある霊山歴史館はその歴史をビジュアルに展示している。



 入り口正面には国事に奔走して処刑された脱藩志士・平野国臣の辞世の句が掲げられている。今回の京都案内人の父の祖父に当たるという。



 京都での事件は多いが、池田屋事件と寺田屋事件が混乱しているのは私だけだろうか。
ここでちょっと自分のために整理してみました。



 池田屋事件は1864.7.8 

 三条木屋町の池田屋旅館で京都治安維持隊の新撰組が尊王攘夷派である長州・土佐藩士を襲撃した事件。



 坂本竜馬ブームとあって川原町近くの竜馬寓居跡(右端の石碑)には若い女性が訪れていた。



 寺田屋事件は本当は寺田屋襲撃事件 1866.3.8 

 龍馬や長州の三吉慎蔵らが深夜2時に幕府伏見奉行の取り方百数十人に囲まれ、入浴中のお龍は裸のまま裏階段を2階へ駆け上がり龍馬らにその危機を知らせた。この時腰や指などに傷を負った竜馬は恋人のお龍と薩摩の温泉へ湯治・潜伏に行ったのが日本初の新婚旅行とされている。


 そして近江屋事件 1867.12.10

 夜に客が近江屋を訪れ龍馬に会いたいと願い出た。その刺客は音もなく階段を駆け上がり、ふすまを開けて部屋に侵入し龍馬は額を斬られた。その後龍馬は後頭部から背中、再度額を深く斬られ、とどめを刺されて絶命した。解説では脳漿が飛び出したと言っていた。丸い写真で鞘ごと受け止めたが相手の刀が頭を深く切りつけた。



 川原町通りに面している近江屋(醤油店)跡は今はコンビニになっている。



 歴史館の直ぐ上の霊山護国神社は明治になって維新に活躍した志士たち1.356名を集めて慰霊している。急坂の中ごろには一緒に襲撃された中岡慎太郎と並んで竜馬の墓標(左側)が立っている。
ここから京都の町が箱庭のように見渡せる。



 竜馬も遊んだ先斗町の夕方7時ごろ。先をャ唐ニ読むのはャ泣gガル語で先をャ唐ニ発音するからという。



 このような小路が先斗町と木屋町通りを沢山つないでおり、その間に店が3~4件ある。



 先斗町から入った店の奥へ行くと鴨川が見える(川床)席は風流だが、この時期はまだ寒く、ひざ鰍ッをかしてくれたので女性は助かっている。下流に南座が見える。



2010 葵祭

2010-05-21 17:03:00 | 独り言
 昨年は5月4日に行われる葵祭の一連の行事の中の斎王代の禊の儀を見に行きましたが、今年は5月15日に行われる行列が丁度休日に当たるので本祭を見ることができました。
10時30分に京都御所の健礼門を出た500名の行列(馬は50頭)が平安の王朝絵巻を現代に再現します。行列者の頭には葵と桂の葉を飾ります。



 藤の花に飾られた牛車が車の音をきしませながら前を通ります。最近の牛は轢く力が弱く後ろで4名の舎人が車を押しています。昨年は牛がバテて予定よりも30分遅れたそうです。でもこの牛車は一般のものに比べて大層大きいと思いますが中には人は乗っていません。



 参考:下は大覚寺にあった普通の大きさの車。


 列の終わりに斎王代(本来は天皇の子女だが今は一般から公募なので代理の代が付く)の輿が多くの女房たちに付き従われて通ります。今年の斎王代は20歳の川崎麻矢さんで医科大学生。



 最初は下鴨神社が勅使を待ち受けます。



 楼門の中では勅使と斎王(代)を迎えて社頭の儀が行われています。ここには神社の招待者しか入れません。 



 最終地点となる上鴨神社。今は行列はここまで17キロを歩きますが、帰りはバスで御所まで戻り衣装を着替えます。その衣装は後日保存会の人たちが時代祭りまでクリーニングして保管する大変な作業が待っています。



 葵。きれいな葉脈が見えます。葵はハート型の二つの葉の間に花と実をつける象徴的な植物でもあります。