みみずのたわごと

多忙老人の独り言

伝統工戟w卓越技能章』

2009-02-28 12:03:06 | 独り言
 いつもご紹介する鏝絵の堀江さん(お客様)が東京都の100人の匠に続いて今度は厚生労働省から卓越技能章を受賞されました。
(右側の人)





 今まで多くの作品を作り何個かいただいてもいます。





 左官業組合での授賞式。他に多くのメディアにも紹介されましたし、三鷹市の地元誌やTV、NHKにも出演されました。現在も創作活動は続けておられ、お店まで三輪バイクで来られます。祈・交通安全。



都内散歩

2009-02-25 18:17:00 | 独り言
 都内の梅を求めて池上梅林に行こうと思い、東急池上駅から池上本門寺を抜けていくコースをとりました。急な階段を上った台地に日蓮上人を祀った本堂があり参詣人で賑わっていました。


 明治の廃仏毀釈によるたたき売りから逃れた五重塔の傍には懐かしい力道山のお墓もあります。


 本門寺の西隣には大田区が管理している池上梅林があります。
南に向かった斜面に手入れのよく行き届いた梅の木が370本あり、この日は多くの人出でした。入園料100円。


 梅の香を楽しむのならもっと早く来るべきでした。


 地下鉄で泉岳寺の下を通って築地へ向かいました。230店ある市場は日曜のため休みが多く普段の活気はないものの、多くの観光客が新鮮な海産物の食事を楽しんでいました。


 とある寿司店前で3,500円のランチが1,000円引きになる優待券を配っていたので、つい得した気分で入りました。絶品の大トロ、中トロ付でこの価格には満足でした。ちなみにお銚子は別料金です。


ぶらぶら歩いて銀座方面へ行けば来年建て直される歌舞伎座も盛況です。


 気になる料金は
1等席   16,000円    2等席   12,000円
3等A席   4,200円    3等B席   2,500円
1階桟敷席 18,000円 高いと思いますか。


 最近の銀座はティファニー、ブルガリ、ルイビトン、グッジ、シャネルなどの直営店が出来て、不況の風など関係なしに混雑していました。私のような一般庶民は新宿のほうが緊張せずにビクつかずに楽しんで歩けます。


もぐさえん

2009-02-19 18:54:32 | 独り言
 春の香りに触れに百草園に行きました。調布から西に12㌔多摩川を渡った丘陵にあり、80種800本の梅の木があります。松尾芭蕉、大田南畝、若山牧水、北村透谷、徳富蘆花、田山花袋などが訪れている(いと)やんごとなき名称地です。



 江戸名所図会にも載っており、奈良時代に松蓮寺として創設されました。明治20年に百草園として一般公開したと言う由緒ある地で今は京王電鉄の所有です。


 境内には寿昌梅という江戸・享保年間に小田原城主の室:寿昌院が(家康の長男追悼のために松蓮寺を再建した際に)植えた有名な(?)梅の木があります。(後でパンフを読んで知ったくらいの存在感だった=右から伸びている枝)


 蘆花の『みゝずのたはこと』の明治40年頃に、世田谷の自宅から歩いて行った時の記述があります。「田の畔に赤い萱草の花が咲く頃の事。ある日太田君がぶらりと東京から遊びに来た。暫く話して、百草園にでも往って見やうか、と主人は云ひだした。百草園は府中から遠くないと聞いて居る。府中までざッと四里、これは熟路である。時計を見れば十一時、ちと晩いかも知れぬが、然し夏の日永の折だ、行かう行かうと云って、早昼飯を食って出かけた。(中略)玉川の渡を渡って、また十丁ばかり、長堤を築いた様に川と共に南東走する低い連山の中の唯有る小山を攀じて百草園に来た。」
筆者注:蘆花は千歳村字粕谷に青山から移って農業を(も)していた。芦花公園駅から南の環八近くの地で今は蘆花恒春園として管理保存されている。



「もと松蓮寺の寺跡で、今は横浜の某氏が別荘になって居る。境内には草葺の茶屋があって、料理宿泊も出来る。茶屋からまた一段堆丘を上つて、大樹に日をよけた恰好の観望台がある。二人は其処の素床に薄縁を敷いてもらって、汗を拭き、茶を飲み、菓子を食ひながら眼を馳せた。
 東京近在で展望無双と云はるゝも噓ではなかつた。生憎野末の空少し薄曇りして、筑波も野州上州の山も近い秩父の山も東京の影も今日は見えぬが、つい足下を北西から南東へ青白く流るゝ玉川の流域から「夕立の空より広き」と云ふ武蔵の平原をかけて、自然を表はす濃淡の緑色と、河原及び人の手のあとの道路や家屋を示す些の灰色とをもて描かれた大きな鳥瞰画は、手に取る様に二人が眼下に広げられた。」





「(中略)調布の町に入る頃は、雷は彼の頭上を過ぎて、東京の方に鳴った。雨も小降りにになり、やがて止むだ。暮れたと思ふた日は、生白い夕明になった。調布の町では、道の眞中に五六人立って何かガヤガヤ云ひながら地を見て居る。雷が落ちたあとであらう、煙の様なものがまだ地から立つて居る。戸口に立ったかみさんが、向ふのかみさんを呼びかけ、「洗濯物取りに出りやあの雷だね。わたしや薪小屋に逃げ込んだきり、出ようでようと思つたけンど、如何しても出られなかったゞよ」と云って居る。(後略)」

 駅に戻る途中に在る百草牧場の子牛。名物のジェラードを道端の看板で矢印付で宣伝していた→→つい乗ってしまった。

 引用の文章は明治文学全集徳富蘆花集より。変換できない旧字は文字を変えました。