平 安寿子の「オバさんなっても抱きしめたい」を読んでいる。
作中に俳句が出てきた。
“じゃんけんで負けて螢に生れたの"
作者は池田澄子とある。
思わず本を投げして検索。
池田澄子の俳句
いっせいに毛虫孵りて毛虫に会う
おかあさんどいてと君子蘭通る
かなかなや死は外海へゆくごとく
これ以上待つと昼顔になってしまう
じゃんけんで負けて螢に生れたの
ふたまわり下の男と枇杷の種
まず口をあけて暑き日始まりぬ
セーターにもぐり出られぬかもしれぬ
ピーマン切って中を明るくしてあげた
主婦の夏指が氷にくっついて
五十回春来て鏡囲いの朝
人が人を愛したりして青菜に虫
元日の開くと灯る冷蔵庫
卯の花腐しハンガーに兄を掛けておく
原爆落とされし日の屋上の望遠鏡
君が代の朝の暑さに緘黙す
否否と加齢や雪の日の体温
味噌醤油涼しくなりはじめておりぬ
呼んでいただく我名は澄子水に雲
夏の終わりの浮きぎみの?と傾ぎぬ
夏の雨いたみはじめる乳は母
夕顔ひらき戸棚の皿のなまあたたか
夕顔やいくたび米を研ぎ了えき
天高し歩くと道が伸びるなり
定位置に夫と茶筒と守宮かな
屋上で罌粟を蒔き扶養家族なし
屠蘇散や夫は他人なので好き
師も父も夫もおとこ初霞
戴いてその日咲ききる冬の薔薇
拓チャンの書初め大いなる楕円
日は真上大き目高のちいささよ
春宵のつくづくたたみいわしの目
春風に此処はいやだと思って居る
月おぼろ実は…のあとが聞きとれぬ
月の夜の柱よ咲きたいならどうぞ
未だ逢わざるわが鷹の余命かな
桜の下散るか散るまで待てません
毛糸玉或る時いのちふっと無し
沸き減ってお湯が濃くなる蝉しぐれ
泣きやめて師へ奉る雪兎
潜る鳰浮く鳰数は合ってますか
無花果や神も仏も見たことなし
父の好みの母が小さし茶の花垣
生きるのが大好き冬の始めが春に似て
相逢うて飯食う疲れ遠花火
育たなくなれば大人ぞ春のくれ
腰高の兄よ水母を海に飼い
花の盛りの花のまったく見えぬ窓
茄子焼いて冷やしてたましいの話
蓬摘み摘み了えどきがわからない
行く秋の吐く息くちびるよりぬくし
言霊のすゝと避けゆく春炬燵
逢わぬ日を地つづき霞つづきかな
長年を椎の木であり花ぽろぽろ
雪積む家々人が居るとは限らない
霙るるや私の川いや深く
風花やまばたいて瞼思い出す
颱風の目の中部屋の上に部屋
食欲兆すさびしさ坐り直す秋
(現代俳句協会HP データベース 作家一覧より)
現代俳句ってスゴイ!
俳句はもっと形にはまったものだと勘違いしていたらしい。
彼女自身も検索してみた。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/03/22 03:27 UTC 版)
神奈川県鎌倉市に生まれる。父の出征のため父の郷里である新潟県村上市に疎開し、1947年より結婚まで新潟市に育つ。俳句をはじめた時期は遅く、たまたま目にした阿部完市の俳句に驚いて興味を持ち、1975年に堀井鶏主宰の「群島」に入会(のち同人。1987年廃刊)。1983年より三橋敏雄に私淑、のち師事し、三橋指導の「檣の会」に入会(2001年解散)。
1988年「未定」参加(1994年退会)。「船団の会」参加。同年8月、第一句集『空の庭』刊行、翌1989年、第36回現代俳句協会賞受賞。1995年「豈」参加。2006年、句集『たましいの話』で第7回宗左近俳句大賞受賞。その他の句集に『いつしか人に生まれて』『ゆく舟』『拝復』など、他にエッセイ集『あさがや草紙』、評論集『休むに似たり』などがある。
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俳句は花鳥風月森羅万象を詠むもので
川柳が人を詠むものかと思っていた。
川柳と俳句・・・
線引きが分からない・・・
作中に俳句が出てきた。
“じゃんけんで負けて螢に生れたの"
作者は池田澄子とある。
思わず本を投げして検索。
池田澄子の俳句
いっせいに毛虫孵りて毛虫に会う
おかあさんどいてと君子蘭通る
かなかなや死は外海へゆくごとく
これ以上待つと昼顔になってしまう
じゃんけんで負けて螢に生れたの
ふたまわり下の男と枇杷の種
まず口をあけて暑き日始まりぬ
セーターにもぐり出られぬかもしれぬ
ピーマン切って中を明るくしてあげた
主婦の夏指が氷にくっついて
五十回春来て鏡囲いの朝
人が人を愛したりして青菜に虫
元日の開くと灯る冷蔵庫
卯の花腐しハンガーに兄を掛けておく
原爆落とされし日の屋上の望遠鏡
君が代の朝の暑さに緘黙す
否否と加齢や雪の日の体温
味噌醤油涼しくなりはじめておりぬ
呼んでいただく我名は澄子水に雲
夏の終わりの浮きぎみの?と傾ぎぬ
夏の雨いたみはじめる乳は母
夕顔ひらき戸棚の皿のなまあたたか
夕顔やいくたび米を研ぎ了えき
天高し歩くと道が伸びるなり
定位置に夫と茶筒と守宮かな
屋上で罌粟を蒔き扶養家族なし
屠蘇散や夫は他人なので好き
師も父も夫もおとこ初霞
戴いてその日咲ききる冬の薔薇
拓チャンの書初め大いなる楕円
日は真上大き目高のちいささよ
春宵のつくづくたたみいわしの目
春風に此処はいやだと思って居る
月おぼろ実は…のあとが聞きとれぬ
月の夜の柱よ咲きたいならどうぞ
未だ逢わざるわが鷹の余命かな
桜の下散るか散るまで待てません
毛糸玉或る時いのちふっと無し
沸き減ってお湯が濃くなる蝉しぐれ
泣きやめて師へ奉る雪兎
潜る鳰浮く鳰数は合ってますか
無花果や神も仏も見たことなし
父の好みの母が小さし茶の花垣
生きるのが大好き冬の始めが春に似て
相逢うて飯食う疲れ遠花火
育たなくなれば大人ぞ春のくれ
腰高の兄よ水母を海に飼い
花の盛りの花のまったく見えぬ窓
茄子焼いて冷やしてたましいの話
蓬摘み摘み了えどきがわからない
行く秋の吐く息くちびるよりぬくし
言霊のすゝと避けゆく春炬燵
逢わぬ日を地つづき霞つづきかな
長年を椎の木であり花ぽろぽろ
雪積む家々人が居るとは限らない
霙るるや私の川いや深く
風花やまばたいて瞼思い出す
颱風の目の中部屋の上に部屋
食欲兆すさびしさ坐り直す秋
(現代俳句協会HP データベース 作家一覧より)
現代俳句ってスゴイ!
俳句はもっと形にはまったものだと勘違いしていたらしい。
彼女自身も検索してみた。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/03/22 03:27 UTC 版)
神奈川県鎌倉市に生まれる。父の出征のため父の郷里である新潟県村上市に疎開し、1947年より結婚まで新潟市に育つ。俳句をはじめた時期は遅く、たまたま目にした阿部完市の俳句に驚いて興味を持ち、1975年に堀井鶏主宰の「群島」に入会(のち同人。1987年廃刊)。1983年より三橋敏雄に私淑、のち師事し、三橋指導の「檣の会」に入会(2001年解散)。
1988年「未定」参加(1994年退会)。「船団の会」参加。同年8月、第一句集『空の庭』刊行、翌1989年、第36回現代俳句協会賞受賞。1995年「豈」参加。2006年、句集『たましいの話』で第7回宗左近俳句大賞受賞。その他の句集に『いつしか人に生まれて』『ゆく舟』『拝復』など、他にエッセイ集『あさがや草紙』、評論集『休むに似たり』などがある。
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俳句は花鳥風月森羅万象を詠むもので
川柳が人を詠むものかと思っていた。
川柳と俳句・・・
線引きが分からない・・・