お墓参りに行ってきた。
亡夫とデートのつもりで買った花ではなく庭の花を摘んだ。
家を感じさせてあげたかった。
荒れ放題の庭にも花らしきものは咲いてくれる。
用意しつつ、いつも思う。
家族キャンプに何度も行くつもりのポリ水容器が墓参り用になるとは。
山のてっぺんにある墓地のさらにてっぺんに親戚の墓と3基ならんでいる。
その端っこのどんぐりの木の下が夫の墓。
車で上がれるところまでグ~~ンと上がって、小さい駐車スポットに停めた。
水の容器が倒れて半分に減って、車内後ろ座席床が水浸し。
たいてい、この水入れは娘が持ってくれているから、こぼれなかったんだと気がついたのは後の祭り。
なんか私のやることは…(ため息)
床マットで水をくみ出す。
蚊が頬を刺す。
秋の、しかも山の蚊は強力。
あわてて用意した蚊取り線香を草刈り用携帯容器にセットする。
かがみこむとなんだか腰痛。
デイサービスで気がつかずに中腰体制になっていた模様。
ほんと歳と共に遅れて痛みはやってくるのか?
花と線香と水と花鋏とライターと、
両手いっぱい抱えて今日は墓までの坂が息切れする。
枯れ葉がいっぱい墓を覆ってこの前の墓参りの花が枯れて水が臭い。
お盆以来。
ホウズキだけは、いい具合に繊維になってドライフラワー化している。
ミニ缶ビール缶が3つ転がっている。
私が持っていったのはひとつ。2つ増えている。
誰かが黙って墓参りをしてくれている。
夫の酒好きを知っている人だ。
しかも銘柄がご指定だったアサヒスーパードライ。
飲み仲間っぽい。誰だろう?
十年も経つのに覚えていてわざわざお参りしてくれた人がある。ありがたい。
きれいにして水を替え花を生けていると、親戚夫婦が農作業スタイルでやってきた。
草焼き用バーナーまで持ってきている。
墓参りと言うより草刈りか山作業。
ここまでしないと確かに草に埋もれてしまうかもしれない山墓だ。
私の中に草に埋もれちゃっても良いという気持ちがある。
人も自然に戻る。墓とともに朽ちるのも自然ではないかと、つい思う。
そうなってないのは、このご夫婦のご厚意に甘えて過ぎているからに他ならない。
どんぐりの木の下は素敵だけど、
重装備の墓掃除に混じるにはちとしんどいが逃げるわけにもいかず。
腰痛を押してせっせと草刈り。
お墓はきれいになったけど、
線香を立てた頃にはなんとなく夫と語る気分は失せた。
この血縁ではない親戚御一同さまの墓所に死んで私も並ぶのか?
そっちが気になってきた。
娘息子が墓掃除、いや草刈りをする図は…ちょっと想像もできない。
ちょっと前の新聞で見た記事を思い出した。
遺骨から人工ダイアモンドが作れると言う。
どうしてこうしてと作り方が書いてあった。
こういう縁戚の御一族といっしょのお墓に埋葬するより
私の身につけられるものに換えて、いつも一緒が良いかもしれない。
しかし、せっかく眠っている墓からお骨を取り出して加工は…ちょっとね。
なんて思いながら次の実家へと移動。途中でお供えを買う。
故人の父でなく、お元気バリバリ記憶だけ???の母の好きなフルーツ。
もう着れなくなった母のワンピースを私風にアレンジして着ている。
洋服に思い入れが強い母だから、ちゃんと着ているのをみせると忘れていない。喜んでくれる。
運転しつつ心は静か。思考する。
夫はもし、直後だったらダイヤにされたかっただろうか?
もう土に還って静かに眠りたいかもしれず、
うるさい妻と一緒はもう勘弁なんてふざけて言いそう。
今のままが自然なもっとも良い形だろうと思いは戻った。
結婚の証で貰った小さなダイヤもそういえば引き出しの奥深くで寝せたまま。
しかし人はいろんな事を考えるものだ。
しんだときノートを書いて置くのも流行りだとか?
お棺に入れる物から、
残った家の改築まで決め事を書き遺して逝ってしまった人を知っている。
残された妻はそれを忠実に実現しようとしており、お棺は物で溢れていた。
表札まで入っていた。
後日、家の方へ弔問に行ったら、言われた改築について盛んに語っていた。
彼がこの窓枠に拘ったからそれを探しているとか、残された者が住みやすいようにでない改築。
見ていて痛々しい。
故人の思いからすこしづつ脱却しないと、後の立ち直りが遅い。
それは十年選手の私の経験。
でも当初思った。
何か書いてもらっていたら、その通りしてあげたのに、
何にも言い残さなかったし、書いたものもなかったから後のことは何がなんだか分からなかったと。
今だって良く分からない。
今は少し違う。
弔いは残された人の心の整理のためにあるような気がしている。
残された人が思うかたちが故人を安心させることに通じるんじゃないだろうか?
私自身のことを思う。
死んでまで、細々ああしてこうしてと人を煩わすのことが好ましくない事のように思えるのだ。
私自身は人工ダイアモンドになりたいか?
答えはNO。
ちょっと心が動いたけど、だんだん歪な事に思えてきた。
犬猫に戒名やら四十九日に命日がある御代。
人にもなんだって有り。
こちらも多様化してきているっぽい。
きちんと宗教を持っている人だったら、
こういう風にごちゃごちゃ考えたりする必要がないんだろう?
私はアバウトに
「死者に煩わされず、自分を生きて下さい。私は自然に還して下さい。」
としんだあとノートに書いておこうか?
夫がくれた物の中でもっとも高価な
小さな小さな
小さな……
小さなダイヤモンドの立て爪の方がどうみても大きかった婚約指輪は
存命中にプチネックレスになっている。
あれ、今日はつけようかな?
まだ留め金が自分でかけられる???…不安^^;
思えばワタシ、うんとお安い硝子の方が好き。
手作りの吹きガラス、ステンドグラス、あっちこっちで見つけたそっちの方が私っぽいわ
にほんブログ村
来られたお印にふたつクリックしていただくとうれしいです=^_^=