気の向くままに

終着はいつ、どこでもいい 気の向くままに書き記す

卓球世界制覇への道

2017-06-08 16:56:56 | 日記

 全国の子供将棋教室に、入会申し込みが殺到している。もちろん、23連勝中の藤井聡太四段の活躍によるものだ。卓球場に通う子供たちも、急増しているのではないか。

 ▼世界選手権で日本選手は、石川佳純、吉村真晴組の混合ダブルスの金をはじめ、メダル5個を獲得した。リオデジャネイロ五輪を上回る成績である。13歳の張本智和選手の快進撃にも目を見張った。ただ、かつての「卓球ニッポン」の実力はこんなものではない。

 ▼世界選手権の団体戦で男子は1954年大会から5連覇、女子は57年から4連覇を達成している。シングルスでも、後に国際卓球連盟会長を務める荻村伊智朗選手らが世界王者に輝いた。もっとも60年代に入ると、中国の台頭を許し長い低迷期に入る。

 ▼街の卓球場では閑古鳥が鳴き、「卓球はネクラ」とタモリさんのギャグにもなった。当時、日本卓球協会の幹部だった荻村さんはこれに発奮、改革に乗り出した。ルールを改正し、ユニホームを明るい色にするなどイメージアップを図る。同時に若手育成に努めた成果が、ようやく実を結んだ。

  ▼日本初の卓球人は夏目漱石だった。英国留学中の1901年3月の日記に、「夜ロバート嬢トピンポンノ遊戯ヲナス」との記述がある。昨年刊行された『卓球アンソロジー』(田辺武夫著、近代文芸社)は、こんな興味深いエピソードが満載である。94年のアジア大会で、荻村さんが監督、コーチ陣に送った激励のメッセージも収録されている。

 ▼「一歩一歩確実に世界制覇を実現するよう、お願いします」。病床にあった荻村さんは2カ月後、62歳で亡くなった。中国を倒して、世界王座を奪還する。3年後の東京五輪が、荻村さんの悲願を果たす舞台となる。

2017.6.8 【産経抄】