あめふり猫のつん読書日記

本と、猫と、ときどき料理。日々の楽しみ、のほほん日記

Exitを抜けて。

2010-11-03 23:51:01 | 本(ミステリ・社会派)

だいぶ日にちは経ちましたけれど、前回に引き続き、エド・マクベインの話を。

私は20代の頃、マクベインの『87分署シリーズ』にちょっとハマりました。

でも、彼の作品はもちろんそれだけじゃなくて、エヴァン・ハンター名義のものもあるし、それに、少し後に読んだ『ホープ弁護士シリーズ』のこの1冊はちょっとした衝撃がありました。

白雪と赤バラ (ハヤカワ ポケット ミステリ―ホープ弁護士シリーズ)
価格:¥ 866(税込)
発売日:1987-09

ストーリーもラストにどんでん返しがあって鮮烈な印象だったのですが、なにより、このシリーズはマクベインが60歳を過ぎてから書きだしたもので、その若々しさ、パワフルさに圧倒されたのでした。

いつだったか、マクベインがイギリスの権威あるミステリの賞“ダイヤモンドダガー賞”を受賞したことがありました。

その時のスピーチをミステリマガジンか何かで読んで、思わず頬がゆるんでしまいました。

だいたい、こんな内容だったかと思います。

“このダイヤモンドダガー(ダイヤモンドをちりばめた短剣?トロフィーがわりに受賞者に渡されるらしい)は、式の時だけ渡されて、後で返さなきゃならないものらしいですね。でも、私はぜひ持ち帰りたい……。おい、扉を固めろ。誰も出すんじゃないぞ。―みなさん、出入り口にいるのは私の友人たちです。ご婦人がたは、お静かに。抵抗しなければ手荒なまねはしません……”

もちろん冗談ですが、マクベイン氏はダイヤモンドダガーを強奪するという演出で、スピーチをしたのです。

一ファンとして、『アホな悪ふざけをするアメリカ人に権威ある賞をやるのではなかった、と、英国の紳士淑女に思われなかったかしら……』と心配になったものです。

そんなマクベイン氏も、亡くなってずいぶん(10年くらい?)になります。

“『87分署シリーズ』の最終巻は『Exit』というタイトルで、もう書いて金庫に入れてある。私の死後に発表されるだろう”と言っていたように記憶しているのですが、実際の最終作は、『最後の旋律』という作品みたい。

あれも、冗談だったのかな……。悪戯っぽい笑みを残して、さっと出口から姿を消してしまった印象のある作家でした。

遅きに失しましたが、ご冥福をお祈りいたします。

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憧れの会話。

2010-10-30 00:01:55 | 本(ミステリ・社会派)

今現在ブログのテンプレートのデザインをハロウィンにしているので(来月になったら変えますが)ハロウィンに関係する本の話をひとつ。

ハロウィンといえばレイ・ブラッドベリ、あるいはピーナッツの登場人物ライナスの“かぼちゃ大王”かな、と思いますが。

でも、私が一番に思い出すのはこれ。

魔術 (ハヤカワ ポケット ミステリ―87分署シリーズ)
価格:¥ 968(税込)
発売日:1989-02

原題はたしか『トリック』ですよね。“トリック・オア・トリート”。ごちそうしないと、いたずらするぞ。

普通は微笑ましい子どものための行事ですが、これはそこを逆手に取った犯罪の話です。

この87分署シリーズ、エド・マクベイン原作の警察小説で、池波正太郎の『鬼平犯科帳』に影響を与えたとも言われる作品。

その中の1作『キングの身代金』は、黒澤映画の『天国と地獄』の原作としても有名です。

私は20代の頃このシリーズにハマりまして、ことに魅力的だと思ったのはその会話でした。

小説の中の会話って、話の本筋に関係ない部分は省かれるじゃないですか。小説家志望者の未熟な文章への批判に“「何にする」「俺コーヒー」「俺も」なんて会話に3行も費やさないでほしい”というようなのを読んだことがあってその点は共感しますが、かといって、あまりにも無駄がない台詞だと、なんだかリアルじゃない気もしますよね。

その点、エド・マクベインって人は巧いんですよ。会話が行きつ戻りつしたりする。

「そのとき〇〇がこう言って――あ、前に話したっけ、〇〇っていうのは、俺の高校時代の友達なんだけど……」なんて会話文があったりする。

だいたいそういう無駄話をするのは主人公キャレラとマイヤー・マイヤーなんですけどその会話を読むのが心地よかった。

けど、これって安易に真似られないんですよね。エド・マクベインって人はもともと脚本家で(私の記憶では『暴力教室』やヒッチコックの『鳥』が彼のシナリオではなかったかと)会話のプロなんです。どの程度無駄をそぎ落とすか、遊びを入れるか、その塩梅が身についている。

でも、その手際の鮮やかさに、憧れたものでした。こんな会話を書いてみたい!

余談ですが、この87分署シリーズ、何度か日本でもテレビドラマ化されていて、以前渡辺謙氏が主人公のキャレラにあたる刑事を演じていたことがありました。

私はイメージあってる、と思っていたのですが、原作者のエド・マクベイン氏もそうだったのではないかと思えるエピソードがありました。

『ラストサムライ』がアメリカで公開されたとき、マクベイン氏がシリーズの翻訳者の方に電話してきたそうです。「あの映画に出ているケン・ワタナベという人は、以前キャレラを演じてくれた俳優ではないか?」と。

印象強かったんだな、と嬉しくなりました。

そのマクベイン氏も、数年前に亡くなりました。新作がもう読めないと思うと、淋しいです。

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猫との至福の時間と、社会派ミステリ。

2010-06-24 00:24:09 | 本(ミステリ・社会派)

キングの身代金 (ハヤカワ・ミステリ文庫 13-11) キングの身代金 (ハヤカワ・ミステリ文庫 13-11)
価格:¥ 756(税込)
発売日:1984-07-01
nodame244さんが読書についてコメントして下さいましたが、それで思い出したこと。

雨の日の読書、というのもとても素敵ですが、私はもう一つ、お気に入りのシチュエーションがありました。

それは、猫を抱きつつ、読書するということ。

もっとも先日逝ったあやはやきもち焼きで、抱くことに集中しないで本や雑誌とか読んでると、すぐに拗ねて離れて行ってしまったものでした。

ところが一度だけ、私が本を読んでいる間ずっと、一緒に寝てくれたことがありました。

何の予定もない休日、猫を抱きつつベッドで読書なんて、怠惰だけどなんて贅沢!と思ったものでした。

そのとき読んだのが、このエド・マクベインの警察小説、《キングの身代金》。

黒澤明映画の《天国と地獄》の原作だということをご存知の方も多いと思いますが、映画とこの原作小説とは、後半の展開が全く違います。

と、いうか、同じ話が、舞台がアメリカと日本ではこれほどに変わってくるのね、という感じ。

大会社の社長の息子と間違えられて、彼の運転手の息子が誘拐されてしまい、莫大な身代金を払うのか、どう解決するのか……というストーリーですが、日本版は重く暗い。ルサンチマンの犯罪(私の解釈ですが、恵まれない立場の者が、恵まれているものを嫉妬し恨んで起こす犯罪)、というと、私は真っ先にこの映画を思い出すほどです。

一方、アメリカ版はまさに大団円。読み終わると青い空と吹き渡る風が脳裏に浮かぶほど。

どちらも好きな作品ですが、これからの季節は、原作版がおススメかもしれません。

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悪女の面影

2010-03-23 23:52:41 | 本(ミステリ・社会派)

松本清張傑作短篇コレクション〈中〉 (文春文庫) 松本清張傑作短篇コレクション〈中〉 (文春文庫)
価格:¥ 740(税込)
発売日:2004-11
松本清張スペシャル『書道教授』を観ました。

未読のストーリーで、しかもどんな話かも聞いたことがなかったので、先が読めなくてドキドキしました。

謎めいた書道教授の正体が少しづつ明かされていくけれど、彼女の真意はどこにあるのだろう、と思っていたら、驚きの展開。

そういえば、松本清張の悪女って、悪い女というより、不幸な女、と言った方がいい女性が多いよな、と思いました。

(でも、江戸時代とかの毒婦列伝なんかも、お富さんとか別に悪女じゃないよね、っていうのありますよね。横溝正史の短編『女怪』のヒロインも、このくらいで“女怪”なんて言われたくない!と思った)

私、悪女ものって大好きなんで、書道教授久子のあでやかだけどはかない雰囲気が心に残った……と言いたいところですが、荻野目慶子のしたたかな悪女像があまりにも強烈でそっちが印象強かったです。

小柄で、可憐な容姿で声も可愛いのに、ホントに怖いし、凄まじかった。

船越さんの、だらしない男もけっこうあっていましたね。でも、どうしても主人公に感情移入するから、最後の急転直下はぞっとしました。

でも、地味な話だろうと思っていたけれどけっこう意外性もあって、私はけっこう面白かったです。

不幸な悪女の面影もほんのり目の裏に残って、余韻もあるのですが、きれいな話で終わらないで皮肉な雰囲気を残すのが、いかにも社会派かな、とも思いました。

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清張作品の、美貌の復讐者たち

2009-05-12 22:43:45 | 本(ミステリ・社会派)

夜光の階段 (上) (新潮文庫)
価格:¥ 580(税込)
発売日:1985-01

この春始まった、清張作品のTVドラマ『夜光の階段』は、今のところ欠かさず見ています。

けれど、最初は犯人像に多少の違和感がありました。

原作は未読だったし、勝手に、自分を悪だと自覚していて、歪んだものにしろ人生哲学がある犯人だと思い込んでしまっていたので。

以前『砂の器』を読んだとき、映画では苦悩する犯人、という感じがしたのに、原作ではもっと冷酷な印象だったので、同じようなイメージを抱いてしまった、というのもあります。

けれどこの主人公佐山道夫は、都合が悪くなると殺人を重ねる残酷な男でもあるけれど、けなげに生きている隣人夫婦に好意を抱いたり、恋をしてみたり、何より、自分が悪人だという自覚はないようで、それが私にとっては違和感を感じるところでした。

もちろん、悪だけの人はいないし、また現実に、悪を行う人間が自分を善人だと思っていることもよくあることですが、なぜこのような人物造形にしたのかな、というのは疑問でした。

が、新聞のコラムに、『清張作品は、ルサンチマンの文学である』というようなことがかいてあって、ようやく腑に落ちました。

ルサンチマン……恵まれた状況に元からいる強者に、弱者が抱く妬みや復讐の心、ということでしょうか。(キルケゴールもニーチェもちゃんと読んだことないので自信ないのですが)

だとすると、佐山は自分を虐げる強者や、社会に復讐している気持ちなわけで、自分を悪と自覚しなくて当然なのですね。

また、きまってそういう主人公たちが美貌なのも気になる点でしたが、考えてみれば、家柄も金もコネも持ち合わせない彼らが、のし上がっていくために頼りにするのは、自らの才覚とすぐれた容姿しかないのだな、とこれも腑に落ちたのでした。

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