主人公が足を踏み入れたことのないバーに行ったとき、同席することになった美しいが教養のない男の子が彼女に訊く。「白鳥の湖ってどんな話?」
彼女は答える。「娘が悪魔の呪いによって白鳥に変えられる」「真実の愛だけが、呪いを解くの」「けれど彼は他の娘を愛する」「そうして、娘は命を絶つ」
すると男の子は(たぶん適当に)訊くともなしに言う。「ハッピーエンド?」と。
もう昨日の夜になりますが、友だちとレイトショーで『ブラック・スワン』を観てきました。
(以下、物語の核心に触れています。まだご覧になっていない方は、僭越ですがご注意ください)
心理サスペンスであろう、とは思っていましたが、想像以上に怖い映画でした。目をそむけるようなシーンもあり、正直途中まではどうしようかと思ったほど。
ストーリーは、真面目で努力家の主人公が夢にまでみた『白鳥の湖』の主役に選ばれたものの、清純で臆病な白鳥はハマり役だが奔放で官能的な黒鳥が演じ切れず、次第に追い詰められてゆく彼女の心の中を追ったもの……と一口に言ってしまえばそういうことですが、そのナタリー・ポートマン演じるニナの内的世界の怖ろしいこと!
次第に妄想に浸食され他ならぬ自分の影におびえるさまは、グロテスクな描写もあって凄まじいの一言でした。
けれど、クライマックスにさしかかり、彼女が黒鳥を踊るシーンになると、ニナに感情移入して脳内アドレナリンが出たのか、妙に高揚して気分がよくなって。
まわりすべてがきらきらし、降るような喝采とスタンディング・オベーション。多幸感というか万能感というか、身体がふわりと持ちあがるような気持ちでした。
そうしてラストシーンでは、不思議な満足感を感じ、たとえ命を賭けたとしても凡百の人間には芸術の高みへは辿りつけないのだし、これはやはりハッピーエンドなのではないか、と思ったのでした。
ことに、当然我こそはという気持ちも妬みもある仲間のバレーリーナたちが心からの賞賛を贈るシーンでは、それはその芸術が本物であるが故で、自分が本物だと思えることはなんと素晴らしいのかと思わずにはいられませんでした。
演出家は何度となくニナに「自分を解放するんだ」と囁きますが、彼女が解放されるにはそれしかなかったのかと切なさも感じます。けれど、本来芸術家に霊感を与える詩神(ミューズ)はその代償に生命を取り上げる死神に他ならないのだと、妙に腑に落ちた映画でした。