夜光の階段 (上) (新潮文庫) 価格:¥ 580(税込) 発売日:1985-01 |
この春始まった、清張作品のTVドラマ『夜光の階段』は、今のところ欠かさず見ています。
けれど、最初は犯人像に多少の違和感がありました。
原作は未読だったし、勝手に、自分を悪だと自覚していて、歪んだものにしろ人生哲学がある犯人だと思い込んでしまっていたので。
以前『砂の器』を読んだとき、映画では苦悩する犯人、という感じがしたのに、原作ではもっと冷酷な印象だったので、同じようなイメージを抱いてしまった、というのもあります。
けれどこの主人公佐山道夫は、都合が悪くなると殺人を重ねる残酷な男でもあるけれど、けなげに生きている隣人夫婦に好意を抱いたり、恋をしてみたり、何より、自分が悪人だという自覚はないようで、それが私にとっては違和感を感じるところでした。
もちろん、悪だけの人はいないし、また現実に、悪を行う人間が自分を善人だと思っていることもよくあることですが、なぜこのような人物造形にしたのかな、というのは疑問でした。
が、新聞のコラムに、『清張作品は、ルサンチマンの文学である』というようなことがかいてあって、ようやく腑に落ちました。
ルサンチマン……恵まれた状況に元からいる強者に、弱者が抱く妬みや復讐の心、ということでしょうか。(キルケゴールもニーチェもちゃんと読んだことないので自信ないのですが)
だとすると、佐山は自分を虐げる強者や、社会に復讐している気持ちなわけで、自分を悪と自覚しなくて当然なのですね。
また、きまってそういう主人公たちが美貌なのも気になる点でしたが、考えてみれば、家柄も金もコネも持ち合わせない彼らが、のし上がっていくために頼りにするのは、自らの才覚とすぐれた容姿しかないのだな、とこれも腑に落ちたのでした。
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