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十二人の手紙 (中公文庫) 価格:¥ 740(税込) 発売日:2009-01 |
両親が東北出身者の私は、井上ひさし氏、と聞いて連想するのは『吉里吉里人』。
でも、舞台は見ていないし『ひょっこりひょうたん島』はよく知らないし、持っている氏の著書は上記のこの一冊のみ。
ほとんど存じ上げない、といってもいいくらいです。
(もっともさすがにテレビドラマになったものは、いくつか観ているようでした)
けれど、現役で書き続けていられた方の急逝は、心残りだったろうなとか、少しもの悲しい気持ちになるものですね。
それと、また、ちょっとふわっとした話をしてしまうのですけれど。
これ、かなりあやしい話なので、眉に唾をつけて聞いて下さい。
井上氏は高校時代(?)文芸部に入ったのですが、それが、驚くほど体育会系な硬派文芸部で、怖い先輩に凄くしごかれたとか。
文学青年だけどヤワじゃねーぜ的な、がっつり怖いその先輩、私の頼りない記憶では、菅原文太氏ではなかったかと……。
もっとも、私自分でネットで何かを調べるときは、“この情報信用できるのかな”とよく思ったりするのですが、自分の情報は極めてあやしいんで申し訳ないです
でも、情報源はなんだったのか自分でも忘れ果ててしまったのですが、どなたか、あ、知ってるよ、とか、いや、それは違うよ、とか言ってもらって、もう一度記憶を呼び戻したい気分もあり。
だいぶ話がそれました。遅筆で知られた井上氏は、私のなかではほんのりとユーモラスな方であり、そうして、本当はこのうえなく繊細な方ではないかとも思っていました。
ほんの少し歪んだ、でもそれが味になっている和ガラスの鉢みたいな。
ご冥福をお祈りいたします。
ただ、井上さんの戯曲の舞台は何作か観るチャンスに恵まれました。
音楽をふんだんに取り入れた『東京裁判三部作』という作品群がありまして、その内の二作品は観ております。「夢の泪」「夢の痂(かさぶた)」(ちなみに残る一作は「夢の裂け目」)…特に後者は印象深いですね。
『日本語は主語が無くても成立する、特殊な言語である。その特殊性の為に、戦後日本における戦争責任の追及は、極めて曖昧なものとなってしまった』という事を訴えた作品で…
劇中で歌われた歌の歌詞に『[E:note]主語が自分か 自分が主語か…』というのがありまして…極めて曖昧に、主体性無く生きてきた己の半生に、思いをはせたものです…[E:coldsweats01]
この三部作は、今月下旬より、連続上演される予定です。偶然ではありますが、作者井上さんへの、手向けの花のようになってしまいましたね…
謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます…[E:weep]
井上氏は、“日本語”、というものに非常にこだわった書き手でもあったのですね。
舞台だと余計に、氏が見つけ出してこちらに示してくれる、日本語という言葉の面白さに、リアルに触れることができたのでしょうね。
すこし、羨ましいです。
「吉里吉里人」映画化権を、先輩後輩のよしみから、菅原さんは持っておられるのだそうです。
こうなったら、何とか実現化に動いて頂きたいですね[E:confident]
ホッとしました[E:confident]
本当に、『吉里吉里人』の映画、早く観たいものです[E:movie]
情報下さって、ありがとうございました[E:shine]