Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ダマスクローズ 210

2021年04月02日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

モローに戻ります。

華麗な宝石細工を思わせる硬質な色彩の輝きを持ったギュスターヴ・モロー(1826-1898)の作品は、実証的、自然主義的傾向の強い19世紀後半のフランスに、 多彩な異国の花のような妖艶な美の世界を繰り拡げて見せました。パリの建築師の息子として生まれた彼は、美術学校に学んだ後、イタリアに旅行して、ヴェネツィア派やミケランジェロの影響を受けたが、 過去の巨匠たちに対する博い知識と深い尊敬の念にもかかわらず、生涯を通じて、自己の心の中の映像世界を守り続け、自己の夢に忠実であり続けた。 彼の描き出す作品は、旧約、新約の聖書の世界、あるいは古代の神話や伝説に想を得たものが大部分ですが、彼は、単に物語の絵解きをするだけではなく、 物語に触発されて自在に想像力を飛翔させ、豊麗なイメージのなかにそれを結晶させます。 イタリア滞在時代の風景スケッチや、パリのギュスターヴ・モロー美術館に残されている数多くの人物デッサンを見てみると、彼が優れた観察眼の持主であったことは明らかです。しかし彼は、眼の前の自然の姿をありのままに再現するだけでは決して満足できなかった。 モローにとっては、美の世界は、現実を離れた想像力のなかにこそ存在する。 「私は眼に見えるものも手に触れるものも信じない。眼に見えないもの、ただ感じ得るものだけを信じる」という彼の言葉は、画家としての信条告白であると同時に、 彼の美学宣言と言ってもよいでしょう。
 このようにして、繊細な感受性に支えられた彼の華麗な夢の世界が織り出される。 旧約聖書の「ソロモンの雅歌」に霊感を得たこの作品も、華やかな飾りをつけた花嫁の姿を借りながら、彼自身の理想の美を定着して見せたものである。 紅白の百合の花を手にしながら、どこか哀愁を湛えた端麗な顔をやや媚びるように傾けて華麗な邸館のテラスに立つこの花嫁の姿は、サロメや、ガラテアや、ダナエと同じく、 モローが生涯を通じて追い求めた夢の女の一人にほかならない。 画面右手奥に見られる蒼い町は、彼が愛した異国情趣豊かなヴェネツィアの思い出を宿しているのだろうか。ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル、ウジェーヌ・ドラクロワ、 テオドール・シャセリオーと受け継がれて来た華麗な東方世界への憧れは、モローによって、新しい官能の夢に昇華させられ、西欧世紀末を鮮やかに彩ることになるのです。

   

油彩画『ヘロデ王の前で踊るサロメ』( Salomé dansant devant Hérode)ギュスターヴ モロー(フランスの象徴主義画家、1826/4/16-1898/4/18 )1876画。ロサンゼルス アーマンド ハマー美術館蔵。

 

主題を“マルコによる福音書”等に登場するヘロデ アンティパス王の娘サロメから取っています。壮麗な宮殿の広間で、豪奢な宝飾と衣装を身に纏い、舞踏を披露するために進み出るサロメは、手に白い花を持ち、瞳を閉じて、爪先で立っています。大きな複数の柱に支えられた天井からは光が差し込んでいます。画面中央にヘロデ王が玉座に座り、その上方に3体の神像が、背後から差し込む光で暗く照らし出されています。画面右には抜身の剣を持った刑吏が立ち、サロメの左奥には楽器を奏でる奏者が座し、その奥に王妃ヘロディアが立っています。また右画面下には繋がれたクロヒョウがサロメと向き合う形で寝そべっています。

 

同年に発表された水彩画『出現:L’Apparition』1876画 オルセー美術館蔵

踊るサロメの前に洗礼者ヨハネの首が現れる、幻想的な絵柄で世紀末のデカダンスに大きな影響を与えました。

 

マルコによる福音書には、上の2枚の絵の経緯が描かれています。絵を理解するには、次の文章を読んでいただくのが一番よいでしょう。

マルコによる福音書から;

6:14さて、イエスの名が知れわたって、ヘロデ王の耳にはいった。ある人々は「バプテスマのヨハネが、死人の中からよみがえってきたのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ」と言い、 6:15他の人々は「彼はエリヤだ」と言い、また他の人々は「昔の預言者のような預言者だ」と言った。 6:16ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」と言った。 6:17このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとったが、そのことで、人をつかわし、ヨハネを捕えて獄につないだ。 6:18それは、ヨハネがヘロデに、「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。 6:19そこで、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。 6:20それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、またその教を聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていたからである。 6:21ところが、よい機会がきた。ヘロデは自分の誕生日の祝に、高官や将校やガリラヤの重立った人たちを招いて宴会を催したが、 6:22そこへ、このヘロデヤの娘(サロメ)がはいってきて舞をまい、ヘロデをはじめ列座の人たちを喜ばせた。そこで王はこの少女に「ほしいものはなんでも言いなさい。あなたにあげるから」と言い、 6:23さらに「ほしければ、この国の半分でもあげよう」と誓って言った。 6:24そこで少女は座をはずして、母に「何をお願いしましょうか」と尋ねると、母は「バプテスマのヨハネの首を」と答えた。 6:25するとすぐ、少女は急いで王のところに行って願った、「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆にのせて、それをいただきとうございます」。 6:26王は非常に困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、少女の願いを退けることを好まなかった。 6:27そこで、王はすぐに衛兵をつかわし、ヨハネの首を持って来るように命じた。衛兵は出て行き、獄中でヨハネの首を切り、 6:28盆にのせて持ってきて少女に与え、少女はそれを母にわたした。 6:29ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、その死体を引き取りにきて、墓に納めた。

 

『新約聖書』の『マルコによる福音書、6:14-6:29』ではヘロデ王の娘の名前は上文の通り明言されていませんが、フラウィウス ヨセフス( Flavius Josephus、37年 - 100年頃)による『ユダヤ古代誌( Antiquitates Judaicae, Book XIV; ユダヤ古代誌第14巻第7章)』には「サロメ」で登場しています。この物語は19世紀末にオスカー ワイルドが大胆な解釈で戯曲化したことで《宿命の女:ファム ファタール、男にとっての「運命の女」というのが元々の意味ですが、同時に「男を破滅させる魔性の女」として》広く知られることになりました。

 

モローの絵は日本でも人気があって、ご存じの方の多いのではと思います。いつ見たのかは忘れたのですが特徴があり、今もハッキリと脳裏に刻み込まれています。何故でしょう。その「何故か」を長い間抱え込んでいた気がします。ここいらでハッキリとさせておかねばと、これまた何故か思い至りました。上の絵を見た瞬間に1/3位はその「何故」が解けた気がしたからです。つまらん自説かも知れませんが、まあ聴いてください。

 

お話は突然変わりますが、かつて、「何を話すかではなく、如何に話すかが問題なのだ」という言葉を「成る程」と変に納得して聴いた記憶があります。随分とイギリスっぽい内容のフレーズですが、「喋るのを聴けば、出身階層がわかる」とされた社会では如何に話すかは重要事なのでしょう。

モノを新しく作り出すには、いくつかの方法がありますが。「何を作るのか」から始まって「どのように作るのか」を考えて初めて着手するのが正当法 ? でしょう。そこにモノを作り出すことの楽しさと苦しみがあります。

ところが何を作るのかが既に決まっていて、どのように作るのかだけを考えれば良いのであれば、これほど楽な、手を抜いた作業はありません。失礼ながら、モローの絵はこれに当たります。モローの絵の奥深さ ? はこれまで書かれた物語がいくらでもこの先、生み出してくれるからです。絵を見る人間の知識と経験がこの先、如何様にも編集してくれます

 

 


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