Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ダマスクローズ 209

2021年03月30日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

メソポタミアの楔形文に残された記録には、薔薇が約5,000年前に人間に知られるようになったことが残っています。

            

アッカドの銅製頭像、おそらくサルゴンの子孫マニシュトゥシュ或いはナラム シンのものと考えられています。サルゴンも同じような格好だったのではと思い、引用しました。イラク国立博物館所蔵。 https://www.ancient.eu/Sargon_of_Akkad/ 

 

楔形陶板に刻まれた記録に依れば、サルゴン(Sargon、在位:紀元前2334年頃~ 紀元前2279年頃、古代メソポタミアの王。アッカド帝国を建国。古代オリエント政治史上最も重要な王の一人で、アッカド語表記はシャル キン, Sharru kin )王がティグリス川を渡る国々への軍事作戦中に「バラの苗木(吸枝)」を持っていった記録が残っています。サルゴンはかつてバビロンの近くの古代都市ウルに住んでいたので、彼の旅はおそらく現在のトルコにあるアナトリア南東部でした。

 

古代の文献でバラの証拠を探す際に遭遇した多くの落とし穴の1つは、薔薇とはまったく関係のない植物に「薔薇」という名が付いている事です。例を挙げれば、スパイクモスであるSelaginella lepidophyllaの通称であるRose of Jericho、Anastatica hierochunticaがあります。更に、Rose of Sharonを挙げることが出来ます。

           

テマリカタヒバ(Selaginella lepidophylla、手毬片檜葉( 別名、ジェリコのバラ、Rose of Jericho、 Maryam's flower, flower of St Mary, St. Mary's flower, Mary's flower, white mustard flower , and rose of Jericho.、俗称:復活草 )

  https://www.creema.jp/item/5123242/detail

 

北アフリカ原産、北アメリカ南部~中央アメリカ、イワヒバ科 イワヒバ属  

テマリカタヒバは、(アメリカ合衆国の)ニューメキシコやテキサス、メキシコから中央アメリカの冷涼な高地に自生するシダ植物。乾季にはカラカラに乾燥し、葉は枯れたように茶色くなり、丸まってしまいまが、雨季になり、水分を吸収すると、丸めていた葉を広げ、色も見違えるように緑色に変わります。乾燥した状態で、長期間休眠することができるのです。枯れたように見える状態から、まるで甦るように色鮮やかに変わるので、復活草と呼ばれます。ジェリコとは、旧約聖書に登場する世界最古の都市のことです。   

テマリカタヒバ https://www.wildflower.org/gallery/result.php?id_image=64019                                                                                                                           

 

せいようきんしばい ( 西洋金糸梅、Hypericum calycinum、 Aaron's beard、別名ヒペリカム カリシナム ) 網目状の裏側と多数の黄色い雄しべのためにアーロンのひげと呼ばれます。オトギリソウ科オトギリソウ属の常緑低木、ヨーロッパの南東部、ブルガリアからトルコに分布しています。高さが20~60cmほどの矮性種で、日なたや半日陰でよく育ち、葉は狭卵形で対生し、6~7月ごろ、枝先に鮮やかな黄色い花を咲かせます。                                                                                           

シャロンのバラという一般名称は、世界のさまざまな地域で顕花植物のいくつかの種に使われています。。 それは聖書の表現でもあり、該当する植物の正体は不明で、聖書の学者の間でも議論の分かれるところです。 どちらの場合も、実際のバラを指すものではありませんが、現代言及されている種は、バラ科の一つです。 シャロンのバラ

       
として知られている落葉性の開花低木は、アオイ科に入りバラ科ではありません。                

雅歌(Cantique des Cantiques)ギュスターヴ モロー1893画、倉敷大原美術館蔵

ギュスターヴ モロー(Gustave Moreau, 1826/4/6–18984/18)、フランスの象徴主義の画家、聖書やギリシャ神話に題材をとった幻想的な作風で知られています。

 

雅歌は、過越祭(すぎこし、ヘブライ語: פֶּסַח‎、英語: Passover)の安息日にシナゴーグで読まれます。過越とは、聖書の出エジプト記12章に記述され、エジプトの地で奴隷になっていたイスラエルの民が、モーゼの先導でパレスチナの地に脱出した故事に因みます。イスラエル人は、古代エジプトに避難したヨセフの時代以降の長い期間の間に、奴隷状態となります。神はイスラエル人を救出するため、エジプトに対して十種類の災害をもたらし、当時80歳になっていたモーセを民の指導者に任命して約束の地へと向かわせようとします。神はこれを妨害しようとするファラオに対して災いをもたらします。その十番目の災いは、人間から家畜に至るまで、エジプトの「すべての初子を撃つ」というもので、神は、二本の門柱と、かもいに、子羊の血がついていない家にその災いを臨ませることをモーセに伝えます。(出エジ12:1~14) つまり、過越とは、二本の門柱とかもいに子羊の血のついている家にはその災厄が臨まなかった(過ぎ越された)ことに由来しています。

 

雅歌は八章からなります。その内の第二章をそのまま引用しましょう。雅歌にはいろんな解釈がされていますが、直接本文を読んで、素直に感じ取った方が良いでしょう。http://bible.salterrae.net/kougo/html/songofsongs.html から、

 

雅歌 第二章

第2章

2:1 わたしはシャロンのばら、谷のゆりです。

2:2 おとめたちのうちにわが愛する者のあるのは、いばらの中にゆりの花があるようだ。

2:3 わが愛する者の若人たちの中にあるのは、林の木の中にりんごの木があるようです。わたしは大きな喜びをもって、彼の陰にすわった。彼の与える実はわたしの口に甘かった。
2:4 彼はわたしを酒宴の家に連れて行った。わたしの上にひるがえる彼の旗は愛であった。
2:5 干ぶどうをもって、わたしに力をつけ、りんごをもって、わたしに元気をつけてください。わたしは愛のために病みわずらっているのです。
2:6 どうか、彼の左の手がわたしの頭の下にあり、右の手がわたしを抱いてくれるように。
2:7 エルサレムの娘たちよ、わたしは、かもしかと野の雌じかをさして、あなたがたに誓い、お願いする、愛のおのずから起るときまでは、ことさらに呼び起すことも、さますこともしないように。

2:8 わが愛する者の声が聞える。見よ、彼は山をとび、丘をおどり越えて来る。
2:9 わが愛する者はかもしかのごとく、若い雄じかのようです。見よ、彼はわたしたちの壁のうしろに立ち、窓からのぞき、格子からうかがっている。
2:10 わが愛する者はわたしに語って言う、「わが愛する者よ、わが麗しき者よ、立って、出てきなさい。
2:11 見よ、冬は過ぎ、雨もやんで、すでに去り、
2:12 もろもろの花は地にあらわれ、鳥のさえずる時がきた。山ばとの声がわれわれの地に聞える。
2:13 いちじくの木はその実を結び、ぶどうの木は花咲いて、かんばしいにおいを放つ。わが愛する者よ、わが麗しき者よ、立って、出てきなさい。
2:14 岩の裂け目、がけの隠れ場におるわがはとよ、あなたの顔を見せなさい。あなたの声を聞かせなさい。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。
2:15 われわれのためにきつねを捕えよ、ぶどう園を荒す小ぎつねを捕えよ、われわれのぶどう園は花盛りだから」と。

2:16 わが愛する者はわたしのもの、わたしは彼のもの。彼はゆりの花の中で、その群れを養っている。
2:17 わが愛する者よ、日の涼しくなるまで、影の消えるまで、身をかえして出ていって、険しい山々の上で、かもしかのように、若い雄じかのようになってください。

 

少し驚かれたのではないでしょうか。これの何処が聖書 ? と。この問いは、非常に難題です。私見を述べれば、聖書成立以前の詩が残っていて、キリスト教徒でさえも、この詩の存在を無視、削除できずにやむなく残った前時代の遺物ではと思っています。キリスト教以前に存在していた知見がそのまま存続している例は他にもあります。天に配置された星座はその最たるものでしょう。キリストは十二使徒を用意してそれに代えようとしたのですが、農業作業と固く結びついた星座と置き換えることは適いませんでした。

兎も角、この雅歌を元に描かれたのが、先の絵です。モローの絵ですから、描かれた女性は「サロメ」ではないの ? と思われる方もいらっしゃるかも知れません。実は、私は、サロメだと思っていました。雅歌から感じ取られる女性とは、少し違うのではと思いますが。モロー流と言われればそうかも。しかし、あまりに耽美的で退廃臭が匂います。雅歌の内容は性愛でしょうが、さっぱりとしてねっちこさは感じられません。19世紀末に既成のキリスト教的価値観に懐疑的な芸術至上主義的な立場の一派、デカダン派(退廃派、頽廃派、退廃主義)だ、と片づけたらその通りですが、簡単にはかたづけたくない絵です。

「シャロンのバラ」から始まったお話です。ひとまずこれをかたづけてからモローの絵に移ることにしましょう。手を広げすぎると、何処までお話したのかわからなくなりますから。

 

「シャロンのバラ」という名前は、ユダヤ教の聖書タナハ(Tanakh)に登場します。シャーハシリム( שיר השירים‎ Šīr-hašŠīrīm、シール ハッ=シーリーム、ヘブライ聖書の中の一編。「雅歌」または「雅歌」)2:1の中で、話者(最愛の人)は「私はシャロンの薔薇、谷の薔薇です」と述べています。ヘブライ語のフレーズחבצלתהשרון(ḥăḇatzeleṯhasharon)は、King James Version(欽定訳聖書の編集者(国王の命令によって翻訳された聖書で複数ありますが、欽定訳という場合は、ジェイムズ王訳、(King James VersionあるいはAuthorized Versionとして名高い、1611年刊行の英訳聖書を指します。)によって「シャロンのバラ」と翻訳されました。しかし、以前の翻訳では、それを単に「野の花」と表現していました。

逆に、ヘブライ語のḥăḇatzeleṯは聖書の中で2回出てきます。歌とイザヤ(Isaiah 35:1)の中では、「荒野と孤独な場所は彼らにとって喜ばれるでしょう。砂漠は喜び、バラのように咲く。(乾燥した土地で咲くの意)」と書かれています。欽定訳では「バラ」と訳されていますが、その他の訳では「ユリ」、「ジョンキル」、「クロッカス」とさまざまに表現されています。「シャロンのバラ」という名前は、いくつかの植物にも普通に使われており、すべてレバントの外で生まれ、聖書からの植物ではなかった可能性があります。

旧約聖書の中での“薔薇”は、特にEcclesiasticus(『シラ書』)の24:18、39:17; 50:8、 ソロモンの2:1、エスドラの2:19、イザヤの35:1における文面で、薔薇を説明しているように見えます。 確かに、薔薇はシリア固有のものであるため、これらの名称はローザ属の薔薇を引用している可能性がありますが、執筆された時点に立ち返り思考を重ねた研究はまだ見あたりません。

( 例えば『シラ書』50:8では、『輝く雲の中に虹が光を放つように、春の日に薔薇の花があるように、水辺の縁に百合があるように、夏の時期に甘い乳香が香るように。』という段がありますが、どの種の ”薔薇“ を指しているのか確信の持てる内容ではありません。)

また、イザヤ書では次のような文面が見られます。 

35:1 荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ/砂漠よ、喜び、花を咲かせよ/野ばらの花を

 一面に咲かせよ。                             

 

 


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