Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ダマスクローズ 211

2021年04月04日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

下は、ビアズリーの、モローよりも50年ほど後になって生まれた、「サロメ」です。

         

『サロメ』オーブリー ビアズリー( Aubrey Vincent Beardsley, 1872/8/21 – 1898/3/16、イギリスのイラストレーター、詩人、小説家)1893画

 

ビアズリーはこの絵を描くのに相当苦労 ? したように思います。単に、サロメとヨハネを描いたのではないことは見て取れます。如何に描くかは、能力をフル活用して挑んだのでしょう。全て自分の力から紡ぎ出された作品です。サロメのドレスには日本の着物の影響が見られますが、絵の右端に描かれた薔薇の花には、イギリス人らしさが出ています。イギリス人に取って薔薇は「美と廃頽」の象徴なのでしょう。(絵には描いた本人の個性よりも、国民性の方が濃く出ます------私はそう思っています。少なくともこの絵はそうでしょう) 

          

The Dancers Reward, from Salomé: a tragedy in one act (London 1904)

ルネサンス以降、サロメは洗礼者ヨハネの首が乗った盆を持つ姿で描かれるのが定番で、《ヨハネの斬首》と《サロメの舞踏》は対をなす絵です。

 

モローの絵については色々なコメントがあります。ご紹介しておきましょう。

「モローはサロメの衣装について次のように述べています。私はまず頭の中でその人物に与えたい性格を考え、それからその基本的な着想に従って衣装を着けた。サロメの場合、私は神秘的な性格を持った巫女のような、宗教的な魔術師のような人物にしたいと考え、あたかも聖遺物匣のごとき、古代エジプト美術の女性像から発展させた衣装を思いついた。

本作品の最も驚嘆すべき点は縦長の大画面の中に幻想的かつオリエンタルな空間を創造していることで、モローはこの空間を作るために様々な建築学的モチーフを合成している。またモローは大画面の左下にサロメを小さく描きつつ、サロメが舞踏する空間を明暗の効果のもとに描き出している。絵画は最も明るい画面右上から左下のサロメに向かって暗さを増していくが、白い衣装を身にまとったサロメはその暗がりの中でひときわ輝いて見える。」

 

「新約聖書における伝承では母である王妃ヘロディアの道具であるかのように行動したサロメだが、モローはこの女性を自立した《ファム ファタール》として描いた。

この女が表すのは永遠の女であり、彼女は、花を手にして、曖昧な、時として恐ろしい観念を追い求めて、しばしば不吉な小鳥のように生を送り、あらゆるものを、天才や聖者までをも、その足元に踏みにじっていく。この踊りが行われ、この神秘的な歩みが止まるのは、絶えず彼女を見つめ魅力的に口を開いた死の前、すなわち剣をうち降ろさんとする刑吏の前である。これは、言いようのない観念や官能や病的な好奇心を求める者に運命づけられた、恐ろしい未来の象徴なのである。」

 

ピエール=ルイ・マチュー(Pierre-Louis Mathieu)によれば、「サロメが持つ花は快楽、クロヒョウは淫蕩を意味するという。モローはこれらのモチーフによって古代以来のイメージを刷新し、妖婦あるいは毒婦といった新たなイメージをサロメに与えていると言えよう。こうしたサロメ像を推し進めたのが同じ年にサロンに出品した『出現』である。この作品では舞踏を披露するサロメの眼前に洗礼者ヨハネの首が宙に浮いた形で出現している。ヨハネの首はサロメ以外の人間には見えておらず、彼女の舞踊の結果もたらされる恐るべき運命として現れている。しかしその幻影を見てもサロメは舞踏を止めはしないのである。」

    

Moreau’s L’Apparition, detail

 

「無表情で、サロメの目は空中に浮かんでいるジョンの血まみれの頭を直視しています。サロメの憐れみを求めて、彼の目は嘆願する一方、彼の口は恐怖で開いています。背後では、ヘロデ、ヘロデヤ、死刑執行人は洗礼者ヨハネの頭に気づかず、サロメは遠くを見つめています。誰もが目をそらし、責任を回避している間、サロメは無表情に犠牲者を直視し、自らの罪を確かめようとしています。モローは、サロメが斬首しようとしている男を挑戦的に見つめているように描写することで、彼女を斬首した首の最前面に置き、ヘロデヤとヘロデのジョンの斬首における責任を消し去ったのです。

この方法を取ると、サロメのダンスの本質が変わります。サロメは最早、母親の命令に従う駒ではなく、自らのセクシュアリティを使ってヘロデを意図的に魅了し、同時に聖人の没落をもたらすファム ファタールとなったのです。イブが男を罪に誘い込むように、サロメは王を「魅了」するために無関心、無責任、無感動を装って毒をふりまきながら踊っているのです。」                                                                    

    
     

 

《出現》フランスの画家オディロン ルドン (1840/4/20-1916/7/3) 1905年から1910年の間に制作。プリンストン大学美術館所蔵。( サロメの画題“L’Apparition” には幻影、幻の意も。)

 

モローとも交友関係にあったルドンの《出現》は、おそらくあの《L’Apparition》を彼の絵で再現したものでしょう。

右手に花束を持つのがサロメ、右側にはヨハネが。手をつないでいるように見えます。

ヨハネの全身からは光が放出され、サロメの体は光に満ちています。二人の体から出た光は前方を照らし出しています。画面左には食虫植物が口を大きく開けていますが、その横を歩む二人は感情的な静けさと喜びに包まれています。激しい感情を内包した、この絵を生み出すまでには相応の時間を要したと思われます。一旦あらゆるモノを飲み込んだ上で、再び吐きだすまで・・・・・・。下手な解説はこれくらいにして、ルドン自身が書き残した手記を引用しておきました。

 

 1902年に彼は作品の制作過程について以下のように述べています。

『殆ど理論的な花というものは、視覚的な外観を、観念が捉えた全体的な印象に従わせる。理論という考えはともかく、これは恐らく真実だ。いずれにしても、この判断が私の仕事のいくつかを統制し、特徴づける。制作の半ばにして、今述べた結果のために、私の記憶という助手が突然現れ、いくつかの作品の停止を強制し、それらが明確にされていて私が思うままに組織されるのに気づくことがある。表象の岸と思い出の岸という、二つの岸の合流地点にやってきた花。それは芸術そのものの実る土地であり、精神によって鍬を入れ耕された、現実の良き土地なのである。』

 

『暗示の芸術は、ものが夢に向かって光を放ち、思想がそこに向かうようなものです。退廃と呼ばれようが、呼ばれまいが、そういうものです。むしろ我々の生の最高の飛翔に向かって成長し、進化する芸術、生を拡大し、その最高の支点となること、必然的な感情の昂揚によって精神を支持するのが、暗示の芸術です。』

 

『私の芸術の展開にとってもっとも必要だったものは,現実のものを丸写しし,外界の事物を,そのごく微細で,特殊で,偶発的な点において注意深く再現することでした。小石,草の葉,腕,横顔など,さまざまな生命あるもの,生命ないものを細かく写しとるために苦労したあとで,私は頭が混乱してきたように感じます。そのときこそ,なにかを創造したい,つまり想像力のおもむくままに表現したいとおもうのです。自然はこのように調合され,煎じられて,私の源泉,酵母,パン種となります。おもうに,まさにこの源から,私の本当の創意は生まれてくるのです。』

 

彼は,現実と幻想との境界にある荒涼たる地域を征服することができた.そして,その地域を,おそるべき亡霊や,怪物や,浸滴虫類や,いっさいの人間的邪悪といっさいの動物的低劣と無力有害な物の持ついっさいの恐怖とで作った複合的存在によってみたしたのだ。のなかに,科学的確信ではなく,さまざまな未知の美しさ,新奇で気取った直接的な表現手段の奇妙さ,創意,夢といったものを熱烈に求める精神の階級の代理人としてみなされねばならないのである.そしてこれら,いわゆる“デカダン”の精神は今日,かなり大きな勢力となっているのだ.

 

ルドンがエミール・ベルナールに(1895年4月14日)書きおくった手紙から;

私が少しずつ〈黒〉を見捨てているというのは本当です.ここだけの話ですが,それは私をくたくたにさせるのです.おもうにそれはその源泉を私たちの肉体の奥深いところからとっている,要するに,それはもっとも本質的な色彩なのではないでしょうか.むかし,デッサン(もちろん,不完全なものですが)を描きましたが,そのやり方だと,描きおわってみると,まるで力を出しすぎたあとのようでした.色彩はこれとはまったく別のものです.いまパ ステルに手をつけています.それに,サンギーヌも.この 柔和な素材のおかげで私はくつろぎ,楽しい気分になります.

                                                                      

 

 

 

 

 


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