12年間の東京生活を経て山形へ戻ってきた時(戻ってからの時間の方がずいぶん長くなりました。)
自分が戻りたい、と思って戻ったにもかかわらず
随分、不可思議な心に支配されてたな、って思うのです。
東京は文化が発達していて、地方は遅れている。
自分がそれを感じていた時期ももちろんあったけれど、大部分は、そういう先入観の刷り込みだったんじゃないかな、と思うのです。
なにを文化というのでしょうか?
と質問して、ワタシは明確な答えを示してもらいたいな、とも思うけれど、
例えば、ものすごーく乱暴に音楽、演劇、ダンスなどというカテゴリーでくくってしまうならば、
確かに、東京の方が地方よりもたくさんの作品を見る事ができるし、それをお金を払って観に行く人もたくさんいると思う。
東京には、人間の生活がないからなんじゃないか?って感じるようになった。(失礼なことを言っていたらごめんなさい。)
ワタシは両方に住んでみて、すごくよくわかる。
地方はよきにつけ悪しきにつけ、人としての営みが濃いな~と思うのです。
自分の生活を生きるだけで(人によって、感受性に違いがあると思うけど)、結構豊かに忙しいのです。←だって本来、そういうのをモデルにしてドラマなんかは作られるべきなんではないのかな?
だから、わざわざお金を払ってまで、つくりものの薄っぺらい作品を見ようという気持ちがおきない。(また、失礼ですよね。)
若い時って、「今の自分は本当の自分じゃない、きっとどこかに違う自分がいるはず」みたいに、いつもフワフワしていて(笑)
そういう時間は、そういう時間でとても大切。その時間は必要な時間。
ワタシ、TVドラマはまったく見ないけど「鶴瓶の家族に乾杯」とか、「なぜ?こんなところに日本人?」みたいな番組が好きで、そこに登場するごく普通の人たちの、魅力的すぎる人柄、とか、光のあたらなかったドラマティックな人生に触れるのが大好きなのです。ちゃんと地に足がついてる人たちですものね。そうそう、昨日の「イタリア小さな村の物語」にも感動、でした~。
自分では、まあまあな感じで歳を重ねてるのかな、って思います(笑)
うすっぺらじゃなくて、好きな表現者はいるので、厳選で、これからも触れ合って(?)いきたいと思います。そういう潤いは必要。
タップに関しても、学び続けることはとても大切。ただ、その人その人で目指すところが違うのだから学びの内容も違って当然。以前のワタシは、山形のレベルを技術的に東京のレベルに少しでも近づけたい、というたったひとつの小さな価値観でしか捉えることができなかった。最終的なところって、「人」とか「生き様」だよ、って尊敬を集めてる表現者に対して人は言うわけだから、だったら、目指す過程において、場所とか、方法は関係ないよね。それぞれの場所で、それぞれの魅力が活かされていくべきだよね。楽しみです。
自分が戻りたい、と思って戻ったにもかかわらず
随分、不可思議な心に支配されてたな、って思うのです。
東京は文化が発達していて、地方は遅れている。
自分がそれを感じていた時期ももちろんあったけれど、大部分は、そういう先入観の刷り込みだったんじゃないかな、と思うのです。
なにを文化というのでしょうか?
と質問して、ワタシは明確な答えを示してもらいたいな、とも思うけれど、
例えば、ものすごーく乱暴に音楽、演劇、ダンスなどというカテゴリーでくくってしまうならば、
確かに、東京の方が地方よりもたくさんの作品を見る事ができるし、それをお金を払って観に行く人もたくさんいると思う。
東京には、人間の生活がないからなんじゃないか?って感じるようになった。(失礼なことを言っていたらごめんなさい。)
ワタシは両方に住んでみて、すごくよくわかる。
地方はよきにつけ悪しきにつけ、人としての営みが濃いな~と思うのです。
自分の生活を生きるだけで(人によって、感受性に違いがあると思うけど)、結構豊かに忙しいのです。←だって本来、そういうのをモデルにしてドラマなんかは作られるべきなんではないのかな?
だから、わざわざお金を払ってまで、つくりものの薄っぺらい作品を見ようという気持ちがおきない。(また、失礼ですよね。)
若い時って、「今の自分は本当の自分じゃない、きっとどこかに違う自分がいるはず」みたいに、いつもフワフワしていて(笑)
そういう時間は、そういう時間でとても大切。その時間は必要な時間。
ワタシ、TVドラマはまったく見ないけど「鶴瓶の家族に乾杯」とか、「なぜ?こんなところに日本人?」みたいな番組が好きで、そこに登場するごく普通の人たちの、魅力的すぎる人柄、とか、光のあたらなかったドラマティックな人生に触れるのが大好きなのです。ちゃんと地に足がついてる人たちですものね。そうそう、昨日の「イタリア小さな村の物語」にも感動、でした~。
自分では、まあまあな感じで歳を重ねてるのかな、って思います(笑)
うすっぺらじゃなくて、好きな表現者はいるので、厳選で、これからも触れ合って(?)いきたいと思います。そういう潤いは必要。
タップに関しても、学び続けることはとても大切。ただ、その人その人で目指すところが違うのだから学びの内容も違って当然。以前のワタシは、山形のレベルを技術的に東京のレベルに少しでも近づけたい、というたったひとつの小さな価値観でしか捉えることができなかった。最終的なところって、「人」とか「生き様」だよ、って尊敬を集めてる表現者に対して人は言うわけだから、だったら、目指す過程において、場所とか、方法は関係ないよね。それぞれの場所で、それぞれの魅力が活かされていくべきだよね。楽しみです。