日々の泡

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分断

2014-05-21 13:26:47 | 社会
美味しんぼ、問題について。

山形は震災当初、福島からのたくさん避難者を受け入れていました。
3年経った現在、その数はぐーんと減りました。
福島に戻られた方も多いです。
でも、戻られた方すべてが、決して自らがすすんで、というわけではないのです。いろいろな事情によるもの。

避難生活がはじまって間もなくの頃から、被災者間での悲しい分断(された)ははじまっていたのです。

避難されている方というのは全く自分たちに落ち度がないにもかかわらず、避難すれば避難先ではどうしても肩身のせまい思いをするものです。
今回は、山形が受け入れるかたち、でしたが、それはいつ、反対の立場になるかもしれないのです。そういうこと(自分がもし逆の立場だったら?)をもっと想像して、役所も、社協も対応してあげればいいのに、という場面はよく目にしました。(けど、なにも出来ないワタシ)

分断。当初から、被災者の心を傷つける大きな要素になっている、と感じていました。国が避難区域に指定した土地の被災者と、自主避難を決断した被災者の間で。もともと原発を受け入れたかわりに税の優遇措置などを受けていた土地と、原発立地ばかりを受け入れることになった原発マネーの恩恵区域外の土地に住んでいた人との間で。原発から半径何キロ以内・・・などと境界線を円で囲んでいる地図を見るたびに、馬鹿バカしい、と・・・・(ワタシは思う。放射性物質はこの円のとおりに拡散するの?!)
こういうことに境界線は存在しますか・・・・・
今回の美味しんぼの件で、福島の憤りの声「せっかく生活が落ち着いてきて、やっと前をむこうとしている時になんでこんなことを」・・・と怒りの声をあげているのは(新聞やニュースで伝えられている)よくみるとほとんどが、70代以上の住民だったりしていませんか。
忘れられないことがあります。自分になにか出来る事はないのか、と避難所にいった折、知りあったご家族がいました。東北はまだ、何世代かが同居している家族も多いです。おじいちゃん、の話。「孫がいるから、娘夫婦と一緒に避難してきたんだ。だけど、近所の人で福島に残っている人もいて、なんでおまえのとこは(国が大丈夫って言ってるのに)帰ってこないんだ、と言われる。俺たちはいいけど、孫はまだ小さいから、影響も心配だから戻りたくないけど、そういうことも言いづらいし、どうしたらいいか困ってる。」と。
国は、この、声にならない、声にすることの出来ない大多数の弱い人たちの声をすくいあげることこそが仕事なのに、むきになって大声で、自分たちの都合ばかりを押し通そうとする。除染したから安心だなんて、子どものいる親なら誰が鵜呑みにできますか。でも、いろんな理由で、そこに住むしか道がないのなら、望まなくても運命として受け入れることしかできないじゃないですか。住む以上は、言いたい言葉だって飲み込んで心に鍵をかけるしかないじゃないですか。
国の政策の失敗であるのに反省するどころか、再稼働のことしか頭になく、同じ被害者同士を分断して問題の本質から目をそらそうとしている。
なによりも悲しいのは、この問題が起きても、3年という時間が人によって全然違うものになってしまっているだろうこと。あの時から、まったく時がとまったまま、の人たちのこと・・・・。ワタシは決して忘れないようにしよう。