亡き娘が好きだった須藤薫さんの曲を聴きながら
病院のベットで友人に送信した娘の最後のメールを
読み返した。
2013年3月6日のメールだ。
一人に戻るのね・・・♪
が、このニュースを知ってから、頭の中回ってました・・・
「涙のステップ」・・・歌手の須藤薫さんが死去
(読売新聞ー03月04日21:01)
学生時代、杉真理くんがらみでよく聴いてました。
高三の夏休みに、ユーミンと真理くんと三人でやった
ジョイントライブにすごく行きたかったけど、受験だったし、
お金なくてあきらめたことを未だに後悔。
で、当時ちょうどオープンしたての立川の駅ビル(当時はまだ
ルミネではなくWILLだった)で、ミニフリーライブがあって、
それはなんとか一人で見に行ったんだよね。
二曲ぐらいだったけど、ものすごく近くで見れて、貴重な体験
でした。
その後、絶対フルライブに行きたいと思いつつ、いけずじまい
だっんだよね・・・
真理くんのライブは結構行ったのに、なぜか薫ちゃんのゲスト
の回にはなかなか当たらず・・・
やっぱり、ライブは行きたい時行ける時に思いきらないとだめ
だなぁ。
で、実家にカセット(笑い)とCD数枚あるのだけど、今聴けず、
仕方ないから、ネットの音源ひろって聴いています。
改めて聴くと、やっぱり、名曲揃いだよなぁ。
そして、高校、大学時代のいろいろな想い出が甦ってくる。
ベタな表現ですが、私の青春そのもの、だったんだなぁ、と。
どうか安らかに・・・
このときの娘の気持ちを思いやると涙が止まらなくなる。
このメールの一ヶ月半後に娘は逝った。
今頃、天国で須藤薫さんに会っているかしら。
偶然だが、須藤薫さんは学部は違うが娘の大学の先輩だった。
進行性のガンに冒され、余命を告知され、それでも愚痴を
こぼさず抗がん剤の治療を受けていた。
我が娘ながらその頑張る姿に尊敬の念さえ抱いた。
娘のつれあいが、娘が聴いていた曲を我が家のテレビの
HDDに入れてくれた。
数え切れないほどの曲だ。ジャンルも様々。
娘は「私は音楽がなければ生きていけない」とつれあいに
言っていたそうだ。
最後の入院の前にも中野サンプラザまでライブに行ったそうだ。
そして、旅行が好きで最後の桜の咲く頃、彼と沖縄を旅した。
そして、私たちには東京駅前のホテルの「アフタヌーンティ」の
予約のプレゼントがあった。