中国原産のつる性植物で日本には平安時代に渡来したという。
写真映えする華やかな花である。
前回は、Japan Punch、その発行人のチャールズ・ワーグマンについて書いた。
そろそろ、番外編本来の美術雑誌「方寸」に戻ろうか。
思った矢先、團團珍聞(マルチン)に姉妹誌があると知った。
マルチン創刊の翌年に創刊、誌名は「驥尾團子」(きびだんご)という。
素通りは出来ないので、情報を探したら、創刊号の表紙が見つかった。
深入りは避けておくが、表紙で分かる。ホント、人を喰った連中だ。
さて、このキビダンゴやマルチンの表紙や挿絵など描いているのは画家は誰?
本多錦吉郎・小林清親・田口米作・ジョルジュ・ビゴーら、とあった。
前の二人は知っているが、他の二人は知らない。
田口米作は小林清親の門人・・・なら話は分かる。
ジョルジュ・ビゴー・・・名はフランス人っぽいけど、これは調べなきゃ。
調べ始めたが、これは一筋縄でいかないが、とりあえず3行で要約・・・。
フランス・パリ生まれの画家、挿絵画家、漫画家。
1882(明治15)年から1899(明治32)年にかけ日本に滞在、
当時の日本の世相を表現する多くの絵や写真を遺した。
なかなか興味深い人に思えたので、いつか改めて詳しく調べたい。
今日は彼の残した作品から何点かを紹介する。
※ビゴーは、サムライ・コスプレの元祖かも・・・。
ビゴーは、1887(明治20) 年、居留地外国人向け風刺雑誌「TOBAE」を発行。
TOBAE・・・何と訳せばいいのだろう? 鳥羽絵・・・まさか。
journal satiriqueは風刺記録あるいは風刺日記か・・・。
※表紙のイラストは、彼が自分をピエロに戯画化して描いたもの。
※ビゴーは絵の中に和名「美好」とサインしている。
※これは何かを風刺している?
※魚(=朝鮮)を釣りあげようとする日本・中国(清)と隙を狙う露(ロシア)
※爆発よりそれを撮る写真屋の行列を皮肉っている
※ビゴーは従軍報道家として朝鮮で大量の写真を撮って遺している。
これはその中の1枚、野戦病院の前に立つ日本人兵士と看護師を撮っている。
今日はこの辺りでお終い。
明日またお会いしましょう。
[Rosey]