1949(昭和24) 芙美子46歳
~作品刊行 1月「放浪記第三部」 2月「骨」「水仙」 3月「妻と良人」
1950(昭和25) 47歳
4月 泰を学習院初等科に入学させる
4~5月「主婦の友」特派員として屋久島に赴く 「屋久島紀行」(青空文庫)
屋久島へ向かう途中 天草富岡来訪 岡野屋旅館泊
12月 この頃から心臓弁膜症が悪化
~作品刊行 1月「夜猿」 5月「天草灘」 11月「茶色の眼」 12月「新淀君」
1951(昭和26) 芙美子48歳
6月27日 取材のため銀座・深川で食事した後帰宅
就床後まもなく苦悶し始め 翌28日午前1時頃永眠 死因は心臓麻痺
~作品刊行 1月から「漣波」「女家族」「真珠母」連載 「浮雲」刊行
告別式1951年 左から緑敏・キク・長谷川春子・泰・川端康成
1952(昭和27) 芙美子の作品「稲妻」が成瀬己喜男監督で映画化される
2003(平成15) 絶筆となった「めし」が未完のまま刊行された
今日はここまで 明日は最終回「放浪記総まとめ」の予定
それでは明日またお会いしましょう
[Rasey]