前橋文学館サイトへのリンク(年譜参照など使い方は自由)
上記サイトの朔太郎の年譜から、彼の最初の妻上田稲子の名を拾ってみる
1919(大正8) 33歳 5月上田稲子と結婚
1929(昭和4) 43歳 7月稲子と離婚
たったこれだけの記述 10年連れ添った妻にしては粗略過ぎない?
というわけで色々と詮索してみたが まとまった情報が殆ど無い
以下 研究論文や文学館サイト等の断片情報を集め 超要約記述引する
上田稲子の父は旧加賀藩の藩士・上田伊太郎
当時 加賀藩の上屋敷は東京帝大の構内にあり 稲子もそこで生まれた
1900(明治33)年生まれ 朔太郎とは19歳の時に結婚
稲子と朔太郎の結婚は最初から雲行きが怪しかった
姑のケイ(朔太郎の実母)の嫁いびり?が酷く 朔太郎の妹たちもこれに加勢
疎外・排斥される稲子に朔太郎は心を痛める・・・どころか全くの無関心
稲子もお嬢さん育ちで怖いもの知らず 私は私よ とメゲたりはしない
宇野千代に薦められて断髪にしたり 洋装にしたり ダンスに熱中したり・・・
当時は大正モダンガールの流行期 稲子もその一人だったのだろう
朔太郎が生涯通じて交遊したのが詩人の室生犀星
室生犀星(むろうさいせい)1889(明治22)-1962(昭和37)詩人・小説家
その犀星が稲子に誘われてダンスをする話を「青い猿」で小説化している
NDLイメージバンクにその作品がある(画像なので1頁読んで挫折)
ただ そ挿絵が面白いので3枚載せる
室生犀星ダンスのお稽古
稲子ほか1名ですね~
この時に芥川龍之介が訪れ ダンスを凝視するところ?
朔太郎? 関心があるような無視するような・・・それで半身だけ?
画像のキャプションに書いたのは私の創意ではない
"稲子が男に抱かれてダンスする 時に囁き合ったりする・・・
それを見ながら嫉妬心を燃やすのも 朔太郎にとっては快感だった"
何とまあ陰湿な! ヘンタイかあんたは! と思うのは私だけか?
次のようなエピソードを読むと ますます異常性を感じる
"酔った若い男が 稲子夫人にキスをしていいか と朔太郎に訊いた
構わんよ 何ならもう一つ先のことをしてもいいよ・・・”
稲子でなくても こんな男に我慢できるはずはない
姑・小姑たちの嫌がらせに加えて 夫の異常性・・・離婚したくなって当然かも
稲子は 宇野千代紹介の若い慶大の画学生 彼と駆落ちする決意を固める
この後の話は次回に!
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]