左:江口章子(あやこ) 1888(明治21)-1946(昭和21) 歌人・詩人 ⇒ 白秋の二度目の妻
右:北原白秋 1885(明治18-1942(昭和17) 詩人・童謡作家・歌人 犬:名前はコロ
【江口章子~生まれから白秋との出会いまで】
1888(明治21) 大分の現・豊後高田市の旧家江口家の三女として生まれる
1901(明治34) 現・大分市の大分高等女学校で学ぶ
1906(明治39) 18歳 検事上がりの弁護士と結婚し大分市に住む
20歳のころの江口章子
1914(大正03) (白秋が前妻・松下俊子と離婚する)
1915(大正04) 27歳 離婚、詩人を目指し、平塚雷鳥の「青鞜」社に入社
1916(大正05) 28歳 白秋と知り合い、現・千葉の市川真間の貸間で同棲する
その後、現・江戸川区小岩の借家「紫烟草舎」に移る
(入籍は翌々年、小田原に転居後)
冒頭に掲げた二人の写真は、紫烟草舎の居間?で撮ったもの
(紫烟草舎、今は市川市国府台(こうのだい)の里見公園に移築されている)
紫烟草舎~市川市Webサイトより転載
この頃の白秋たちは、前夫との示談金支払いなどで極貧状態だった
「でも、この妻は私とどんな苦難にも耐えてくれるだろう 」と、
白秋は章子を頼りにし、その詩才にも扶けられたようだ
その白秋の信頼に応える章子の歌
”「ひとときの 君の友とて生まれ来て 女のいのち まこと捧げん」”
また、章子の才能は、後年の彼女の作品「追分の心」を読めばわかるはず
まるごとPDF化されているものがあったのでG-dirveにアップしてある
葛飾暮らしの貧窮ぶりは、章子の健康を損なってしまう
見かねた友人の計らいもあって、二人は小田原に転地療養をする
が、そこでは思いがけない苦難が待ち受けていた
というところで今日は終わり
最後に、すでに聞いた童謡「雨」をもう一度
作詞が北原白秋ではなく、江口章子になっている!
でも、私はきっと彼女が創ったのだろう、と納得しているけれど・・・
では明日もまたお会いしましょう
[Rosey]