水辺のコスモス 撮影日:2017/10/10 某園にて
前橋文学館サイトへのリンク(年譜参照など使い方は自由)
妹ユキと朔太郎
朔太郎はギターも演奏し 作曲や編曲もしていた
昨日載せ忘れた曲から始めたい
萩原朔太郎作曲のマンドリン独奏曲「A Weaving Girl(機織る乙女)」
さて 今日は朔太郎の父母や妹弟や妻や供たちについて書く
といっても前橋文学館サイトの年譜から抜き取ることから始める
年齢は特記しない限り朔太郎の年齢
【父母・兄弟】
1886(明治19) 0歳
父:萩原密蔵(開業医) 母:旧姓八木ケイの長男として前橋市で生まれる
1890(明治23) 4歳
長女ワカ生まれる
1894(明治27) 8歳
次女ユキ生まれる のち医師・津久井と結婚
1898(明治31) 12歳
次男弥六生まれる
1900(明治33) 14歳
三女み祢生まれる
1904(明治37) 18歳
四女アイ生まれる のち詩人・佐藤惣之助と結婚 のち詩人・三好達治と結婚
【妻と子】
1919(大正08) 33歳 旧姓・上田稲子(19歳)と結婚する
上田稲子 1900(明治33)ー1981(昭和56)
1920(大正09) 34歳 長女葉子生まれる
1922(大正11) 36歳 次女明子生まれる
1929(昭和04) 43歳 稲子と離婚する(※) 2児を連れて前橋に帰る
1930(昭和05) 44歳 父密蔵死去する 享年77歳
1938(昭和13) 52歳 詩人・大谷忠一郎の妹大谷美津子と再婚する(未入籍)
1942(昭和17) 死去(享年55歳)
※稲子との離婚の経緯やその後の稲子の人生
朔太郎の母や妹たちとかなりの軋轢があったが 朔太郎は無関心
稲子はダンスに熱中するうち若い男と駆落ち
その後再び東京に舞い戻って戻ってカフェバーを開いたり・・・
書き始めると長くなるので 改めて次回に予定
また長女の葉子は長じて作家となるが 彼女についても次々回に予定
今日は殆ど年譜整理に終始してしまった
明日またお会いしましょう
[Rosey]