昨日は芙美子の画像を入れ忘れた。早速1枚。
芙美子3歳
1922(大正11) 芙美子19歳
女学校卒業。 明治大学に通う岡野を頼って上京、小石川雑司ケ谷に住む。
風呂屋下足番、帯封書き、株屋事務員(すぐ馘)、工場の女工など・・・転々。
やがて両親が上京、三人で再び行商に戻り、あちこちの露店で商売する。
小石川雑司ケ谷の古い地図~江戸東京下町研究会サイトから転載
1923(大正12) 20歳
岡野は大学を卒業したが、家族の反対で芙美子との結婚を諦める。
彼は郷里因島に戻り、尾道の大阪鉄工所(日立造船に就職する。
芙美子は行商から足を洗い、再び職を転々とする。
9月、関東大震災で罹災。
灘の酒荷船に便乗して大阪まで行き、尾道に帰る。
その後、単身で再び上京、働きながら「歌日記」と題する日記を書き始める。
この頃から、これがのちの『放浪記』の原型となる。
灘の酒荷船に便乗して大阪まで行き、尾道に帰る。
その後、単身で再び上京、働きながら「歌日記」と題する日記を書き始める。
この頃から、これがのちの『放浪記』の原型となる。
※昨日は尾道のことを書いた芙美子作品の紹介を忘れた。
風琴で思い出したが、芙美子には音楽の才もあった。こんな写真もある。
1924(大正13) 21歳
3月、詩人で新劇俳優の田辺若男と同棲する。
田辺の紹介で、アナーキスト詩人らと親交を深める。
6月、田辺と別れる。
7月、友谷静栄とリーフレット型の詩誌「二人」を創刊(3号まで)。
8月、「文藝戦線」に詩を発表。宇野浩二から小説作法の教えを受ける。
12月、詩人野村吉哉と同棲する。
1925(大正14) 22歳
4月、野村と世田谷町太子堂の二軒長屋に住む。
隣に壺井繁冶・栄夫婦が住み、近くに平林たい子・飯田徳太郎(同棲)らがいた。芙美子は、たい子とともに、詩、童話を売りに歩く。
冬、夜逃げをして世田谷町瀬田に移る。
女給時代の芙美子(1925)
1926(大正15) 23歳
1月末、野村との同棲を解消し、新宿のカフェーの住込み女給となる。
12月、本郷区追分町のたい子の下宿に同居、後下谷茅町に住む。
蓬莱町の大和館に下宿していた洋画を勉強中の手塚緑敏を知り、同棲する。
芙美子と手塚緑敏 (まさはる、通称 りょくびん)
1927(昭和02) 24歳
1月、二人で杉並区高円寺に転居する。
5月、杉並区妙法寺境内に移る。
今日はここまで。明日またお会いしましょう。
[Rosey]