前橋文学館サイトへのリンク(年譜参照など使い方は自由)
以下 萩原葉子の作品「父・萩原朔太郎」から超要約記述引用する
萩原葉子 1920年(大正9)-2005(平成17) 小説家・随筆家 写真は前橋文学館サイトより転載
1955(昭和30) 葉子35歳
葉子は9歳の時に別れた母の稲子(当時29歳)を何としても探し出そうと決意
母を知る父の友人たちやNHKの尋ね人に放送して貰ったりした
不明の為 自分の生まれた前橋の区役所から稲子の戸籍を取り寄せる
鹿児島→金沢→札幌へ 「いね子」の名がある戸籍が見つかり取り寄せる
札幌の住所宛てに手紙を出す 1週間後に返事が届く
いね子が入籍したばかりのY氏からの手紙だった
詳しい話をY氏へ手紙で送ると 「オイデマツ イネコ」と電報があった
「見つかった!」と歓喜した葉子は 早速母稲子に会いに出かける
東北本線の列車で青森へ 連絡船「洞爺丸」で函館へ 函館本線で札幌へ
札幌駅には母とY氏が出迎えてくれていた
25年ぶりに出合った母は 葉子のイメージを超えて遥かに年老いて見えた
3人で駅近くのレストランで食事しながら その母が葉子に言う
「萩原そっくりの厭な顔ね! あたしにそっくりのあんたを想像していたのに」
「札幌は初めてなら案内しましょうか」とY氏が言ってくれたが、母は続ける
「あんたが落ちぶれて貧乏して わたしを頼って来たのか と思ったわ」
葉子のわだかまりは強くなってゆくばかりだった
かと思うと「そうじゃなくてよかった 夕べは嬉しくて眠れなかったし・・・」
と感情の揺れも激しく 眼に涙さえ浮かべるのだった
葉子は困惑するばかり 母の無事も確認できたし 明日は東京へ帰ろう
このあと葉子の「父・萩原朔太郎」に稲子が登場することない
ただ 稲子が若い夫と別れたあと 葉子が引取り母が亡くなるまで世話をした
「父・萩原朔太郎」には 続いて詩人の「三好達治」「佐藤惣之助」らが登場する
朔太郎の末の妹アイが 佐藤惣之助と結婚 夫の死後 三好と結婚
すなわち佐藤も三好も朔太郎の義弟にあたるわけだ
なお 上記と関連する萩原葉子の作品には三好やアイがモデルの「天上の花」
自身や朔太郎一家をモデルにした「蕁麻の家」(いらくさのいえ)がある
詩人としての佐藤は 古賀政男らとのコンビで当時の流行歌を多く作詞した
また佐藤も古賀も朔太郎の家を訪れ 酒を飲んでは流行の歌を唄っていた
佐藤惣之助1890(明治23)-1942(昭和17) 古賀政男1904(明治37)-1978(昭和53)
詩人・作詞家 作曲家・ギタリスト
最後に当時流行った歌をその頃の録音で数曲(G-driveのmp3へリンク)
全曲ともに作詞は佐藤惣之助 作曲は古賀政男
今日で萩原朔太郎シリーズを終わる
次回からの詩人シリーズは「三好達治」の予定
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]