遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

こんな人がいた~「寺山修司その34 天上桟敷の女性たち#2」

2023年11月21日 | 読書


 さて 今日の女性は「寺山はつ」・・・寺山修司の母親だ。
 彼の死後 はつも「母の蛍~寺山修司のいる風景」という本を書いている 

 ただ、このブログ茶者は田中未知の本を読んでいないのではないかと思う
 

寺山はつ1913(大正2)-1991(平成3) 寺山修司1935(昭和10)-1983(昭和58)

 その著書を読んだ田中未知が「寺山修司と生きて」で はつの事を書いている 
 信頼できる医師から 精神病院に入れては と寺山と田中は言われた程だ
 もちろん 寺山にそうすることは出来なかったが・・・
 田中は 寺山が坂口安吾の作品を読んでいることにも言及
 幼少時の母親の独善ぶりが二人の共通体験にあるのでは・・・と指摘している

 章タイトルが「母地獄」・・・ハツのモンスターぶりが見事に描かれている
 息子を 修ちゃんと呼びながら 可愛がるかと思えば ジコチュー人間 
 周囲は振り回されているばかり 友達は1人も作らず お金が親友

 寺山の死後はさらに尋常ではなくなった
 誰にも相談せず 寺山の墓を高尾山に作った 
 葬儀は盛大に行われた はつは出席しようともしなかった
 邪魔だからと 修司の作品や蔵書など全て売り払って金に換えようとした
 
 田中は、人から金を借りてでも遺品を一つでも多く買い取った
 ところがその後 はつは 遺品を返せ と言い始めた
 田中は未入籍 著作権保持者は母はつ 誰かが入れ知恵したのだろうか
 しかも「遺品整理を手伝った田中とは一切関係が亡くなったので承知を」
 といった手紙を関係者宛てに出したのである

 寺山が死んで3年後の1986年
 田中の企画で「テラヤマ・ワールド」展開催
 展示したものはすべて三沢の寺山修司記念館の手に渡った
 その間 寺山の名を使って暗躍し 利益を得た人間がどれほど多かったか
 見切りをつけた田中は 誰にも知らせずに日本を離れ オランダへ・・・

 上記の企画展 田中の話や寺山の遺品写真などネットで探したが無し
 田中未知にもう1冊 大事な本があった(高くて買えないでいる)
 また 寺山修司が答えている動画も埋め込む(幾つかの質問と回答)
 

 今日はここまで それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

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