瀬戸内寂聴著「ここありて 白秋の三人の妻」を参考に、続きを書く
1927(昭和02)年
中村戒仙が芳春院住職から聚光院住職に変わる
1928(昭和03) 章子40歳
聚光院で暮らす章子は初めての詩文集『女人山居』を出版する
1929(昭和04)
生田春月が聚光院を訪れる その時の詩が彼の死後に発表されている(PDF)
章子が春月と知り合ったのは1915(大正04)年
雷鳥を頼って上京し「青鞜」に参加の頃、離れた後も手紙の交換はしていた
この頃の春月は、妻の生田花世や若い愛人との関係を清算し、
独りで死ぬことを決意していた模様・・・死後発表の彼の詩の断片(PDF)
1930(昭和05) 章子42歳
この年5月、春月が大阪発別府行きの船に乗り、播磨灘で投身自殺する
同じ頃、谷崎の妻譲渡事件が決着、この件も章子に衝撃を与えたようだ
飲酒、睡眠薬多用などで章子は狂乱状態に陥る
放っておけなくなった戒仙は、章子を精神病院に入院させる
同時に、章子と結婚する意志を固め、それを公表する事を目論む
章子が雑誌連載に”聚光院にて”と書いたことが問題になってきたからだ
ここからがハイライトなのだが、時間がとれないので明日に回す
最後に、既に紹介済みだが「追分の心」の序文ほかのPDFを再リンク
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]