遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

日本の旅 By NHK WORLD 最終編

2024年01月16日 | 旅行


NHK WORLDでのJourneys in Japan 最終編 
どれも単なる観光案内ではなく 一味も二味も違う街の案内
以下 タイトルと地域名のみ表示 各編約28分







今日はここまで 明日またお会いしましょう
[Rosey]

ゆくえ定めぬ波まくら・・・

2024年01月15日 | 旅行
村のはずれのお地蔵さん・・・どこで撮ったか記憶に無い


次のテーマが決まるまで NHK WORLDの中を彷徨うことにする
初めに一度も行ったことが無い山形県への旅

山形:生者と死者との交流 とでも訳せばいいのか
これまた兜太的雰囲気が漂ってくる気配
ある仏教のお寺にマリア像が安置されていた・・・えっ!というお
怖~い顔や姿をしたお婆さんも出て来る・・・ミステリアス山形?

青森県は通過するだけ 秋田県も行ったことなし
両県に跨る世界自然遺産の「白神山地」 穢れを知らない森の奥への旅 
ぶな原生林・花々・土壌・樹質・加工・清流・森が育てる海の幸・・・見所多々!

これまで掲載したのは Journey in japan というシリーズ
このシリーズはDive in Tokyo 東京へ飛び込め? NHKも凄いね!
タイトルは おもてなしの歴史ある街 と訳せばいいのだろうか

現役時代 神田や丸の内で長く仕事をしたことがある
正月初詣は神田明神が定番・・・商売繁盛よりシステムの安全祈願だった
それなりに土地勘がある積りでいたが これを観たら'灯台元暗し'
ただ、2:40頃 (戊辰戦争)のコンドーム精神に祈願した と字幕 ムムッ?
未だ謎が解けないでいる

浅草も飛び込まなければいけない場所だろう
これは浅草寺の紹介ではなく 浅草寺の裏町散歩という趣き
夏の伝統巡り とあるが 年がら年中何かしら行事がある土地柄
Mt.Fujiが浅草にあった・・・それも登山客が列をなしているとは知らなかった

前記の神田で書いた`コンドーム精神に祈願'は’神田明神に祈願’ではないか
謎が解けた気がするので今日は終わり
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

遠くへ行きたい

2024年01月14日 | 旅行

安曇野から見た北アルプス常念岳(雲の下)

 時おり旅の誘惑に駆られるが HOT(在宅酸素療法)の身
 せめてバーチャル旅行で我慢するか・・・
 想い出したのがNHK Worldという海外向けTV放送(Youtube)

それを使ってあちこち行ってみようというわけ
主役は外国人 基本言語は英語(字幕アイコンから機械翻訳可)
単なる観光動画ではなく 一味違う目的意識で貫かれているのが良い
スタッフ・カメラともプロフェッショナル そこも気に入っている
ブログに埋め込み不可のため Youtubeにリンクする

上高地から蝶ヶ岳→常念岳を縦走する 穂高・槍・富士などの眺望がGood!

伊勢神宮から宮川に沿って大台ケ原まで登る 変化する滝の貌が圧巻!

奈良の社寺の祭神巡り 兜太の秩父三峯神社の狼や"生きもの感覚"と通底!

京都の様々な伝統工芸の制作現場を訪ねる 職人の信念と技術に讃嘆!

今日の旅はここまで それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

1919年頃の映像

2024年01月13日 | 旧い映像
 1919(T8)年の子供たち

金子淘汰の余韻が残っていて 次を誰にするか未だ考えられない
兜太の生年は 1919年=一句一句だから覚えやすい 和暦では大正8年
今日は その頃の映像散策と行くので 気楽にご覧を!

1919(T8)年 外国人が撮影した映像 10分弱
この頃は未だ無声時代 シーンの合間に英語説明文が写される
カラー化した映像もあるが ここはモノクロで掲載


時代を少し遡って1913-1915(T2-4)年の東京風景 4分程
これは速度修正し音を加えた編集が行われている


今度は時代を下って1929(S4)年 京都の散策 15分 この頃はトーキー


1932(S7)年 日本へのクルーズ 8分


今日の最後 時代は40年下って1973(S48) ある日の日本橋 8分弱


 それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]

『俳人・金子兜太その15 最終回・追悼」

2024年01月12日 | 読書

熊谷市斎場で葬儀(2018/2/20)         お別れ(06/22)会で献花 真土・知佳子夫妻 

金子兜太の辞書には「死」という言葉が無かった
好んだ言葉は「他界」・・・別の世界に行ってみんな生きている

最後に遺された9句


これらの句を眼にして 女性の友のほか 何点か疑問が湧いた
それがきっかけで調べたら 次の事が分かった(""内は私流超要約記述)

”他界する2年ほど前から 兜太は軽い認知症を患っていた
同居する長男夫婦の負担を想い 熊谷市内の介護施設に部屋を確保
 そこを何度か利用したようだ 女性は通いで勤めている人だろうか
 入浴の句が3句あるが 施設で過ごした時の句と考えると納得がゆく
4句に「さすらい」の語 自分の人生を 定住漂白と呼ぶ兜太だったが・・・
最後の2句は 他界へ行く日がそう遠く無いことを自覚してのことか
歩ききれない遠い家 それはもちろん秩父の生家だろう”

兜太の逝去を伝える報道ニュースは山ほどあるが みんなお決まりのもの
その中で2つ 私が惹かれたものがある

(余談だが JimdoというWebサービスを使っている点も懐かしい) 

兜太が語り継がなければ と思った戦争体験
取りこぼしがないか再度探したら NHKアーカイブに3つほど動画があった

(他界後に抜粋編集したもの)

兜太の年譜などで世話になっている金子兜太公式サイト
なお この公式サイト 思っていたより情報量が多い
兜太のエッセイも網羅されているし 俳句論に関する対談も掲載されている

その一つで思わぬことが分かった
村上護(文芸評論家・俳人)との対談で 兜太はこう語っている
「人間そのものの生きた姿を書く 小悦家で言えば坂口安吾が大好き 
坂口安吾の作品は肉体なんですよ 俳句の五七五も肉体のリズムだから」
・・・兜太の俳句から 薄々安吾の匂いを感じていた私も やっぱりと納得

さて 兜太は長寿だったので 他界して5年ほどしか経っていない
これ以後は他界後の記録になる

金子兜太さん一周忌会見 2019年 75分弱
 

映画「天地悠々」予告編 2019年 5分半


金子兜太の弟子マブソン青眼氏の講演会 2023年 90分弱
戦争の悲惨さの他に忘れてはいけないのが 権力の弾圧・横暴・乱用
直截兜太を偲ぶものではないが 戦後80年の今もそれは存在する


今日が金子兜太シリーズの最終回 盛沢山になったがご愛読に感謝!
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]