おせっかいな友人Xが、
「お前、あんなカミさんじゃ、将来はないぞ。もっと若くて考え方の新しい、フレッシュな女を妻にしなければいかんよ。そうしないと家計もダメだし、隣近所との付き合いだってダメになるよ。俺が世話するから、離婚して新しい奥さんにしろよ」
と言って、見てくれの良い若い女性、A子と再婚したB君。
A子は口は達者だが、暮らしていくうちにいろいろ欠点が見えてきた。
前の奥さんより浪費癖がひどく、隣近所との付き合いも上手にできず、しかも「もっとお給料から家計費をくれないと、暮らしていけないワ」と言って、前の奥さんよりも派手に借金をし始めた。
A子はまた、B君の子どもに、
「私があなたの母親になったら、あなたの部屋に間借りしている外人を家から追い出して、静かな子ども部屋にするわね」と言っていた。
前の奥さんは、外人に別の部屋に移ってもらう約束をしていたが、
「冗談じゃないワ!なんで外人がウチにいるワケ?!最低でも離れに行ってもらうワ!」
と息巻いた。
が、結婚した後、外人を家から追い出すどころか、子ども部屋から出て行ってもらうことも出来ず、「仕方ないわネ」、と早々にあきらめた。今では母子の信頼関係は完全に崩れ、会話もまったく無い。
B君は途方にくれている。
(いったいどこで間違ったんだ?Xの言うことを聞かなければ良かったのか…)
さて。A子が民主党だとすると、民主党を「世話した」Xは誰か。
このXの中に、著名な経済人がいる。
民主党を応援していた経済人の中でも、某自動車メーカーの経営者と、京セラの創業者、日本航空会長の稲盛和夫氏は突出していた観があった。
最初に断っておくが、経営者だろうが芸能人だろうが、日本で特定政党の支持を鮮明にすることはひじょうに勇気がいる。だから、そういう人々には、支持党派を超えて敬意を表したい。
一般の人々がより政治を身近なものにするためにも、彼らの発言は貴重である。
その上で、問いたい。
誰が何を支持しようと自由である。しかし、支持した結果について、責任は無いのか。
稲盛氏は、私費で政権交代の意見広告を新聞に載せ、小沢一郎元代表とテレビにも出演した。
批判を承知で堂々たる行動をとった。立派である。
そして、望み通りの政権交代。
いま、民主党政権は国民からの支持を失っている。で、稲盛氏はというと。
「現在の(民主党の)体たらくに落胆している。こんなつもりで支援したわけではなかった」(毎日新聞2011年2月8日)
そうですか。
では、勇気ある行動派の稲盛さんのことだから、応援した責任をとって、たとえば民主党に対する意見広告を出すとか、親しい民主党幹部たちをどやしつけるのですね。
あるいはご自身で言っていた、
「民主党が天下をとってもいい加減な政治をすれば、次に修正された自民党が政権をとる。何回か繰り返す間に必ずすばらしい人類の英知が生まれ、新しい国に変えてくれる」(朝日新聞2008年7月24日)
ために、行動するのですね。
言いっ放しなんて、無責任で軽薄な評論家のようなことは絶対にしないと思いますが。
どうなさるのですか?
「この後、新しい政治体制ができるのでしょうが、静観します」(毎日新聞同上)
はい?「静観」ですか?
煽って、かき回して、人を信じさせて、今になって「こんなつもりで支援したわけではない」と失敗を認めたにもかかわらず、「静観」ですか???
A子をB君に世話したXは、決して結婚後の責任はとらない。
「まあ、他人の家庭のことだから」
稲盛さん、あなたにとって政治は今や「他人ごと」なのですか?
私も若い頃愛読し、影響を受けた稲盛さんのご著書。
「人間いかに生きるべきか」と、ご立派なことをたくさんお書きになっている稲盛さんですから、きっと何か責任を取られるのでしょうね。
期待しています。
いや、これは稲盛氏からの、国民に対する警鐘ではないか?
有名人だろうが有能な経営者だろうが学者だろうが、彼らが言っていることを鵜呑みにしてはいけない。
私たち一人ひとりが自分の意見を持ち、自分が政治に参加するのだ、という意思を持たなければ、有名人にだまされてとんでもない目に遭うぞ、ということではないか。
さすが稲盛氏、と、一応しておこう。
「お前、あんなカミさんじゃ、将来はないぞ。もっと若くて考え方の新しい、フレッシュな女を妻にしなければいかんよ。そうしないと家計もダメだし、隣近所との付き合いだってダメになるよ。俺が世話するから、離婚して新しい奥さんにしろよ」
と言って、見てくれの良い若い女性、A子と再婚したB君。
A子は口は達者だが、暮らしていくうちにいろいろ欠点が見えてきた。
前の奥さんより浪費癖がひどく、隣近所との付き合いも上手にできず、しかも「もっとお給料から家計費をくれないと、暮らしていけないワ」と言って、前の奥さんよりも派手に借金をし始めた。
A子はまた、B君の子どもに、
「私があなたの母親になったら、あなたの部屋に間借りしている外人を家から追い出して、静かな子ども部屋にするわね」と言っていた。
前の奥さんは、外人に別の部屋に移ってもらう約束をしていたが、
「冗談じゃないワ!なんで外人がウチにいるワケ?!最低でも離れに行ってもらうワ!」
と息巻いた。
が、結婚した後、外人を家から追い出すどころか、子ども部屋から出て行ってもらうことも出来ず、「仕方ないわネ」、と早々にあきらめた。今では母子の信頼関係は完全に崩れ、会話もまったく無い。
B君は途方にくれている。
(いったいどこで間違ったんだ?Xの言うことを聞かなければ良かったのか…)
さて。A子が民主党だとすると、民主党を「世話した」Xは誰か。
このXの中に、著名な経済人がいる。
民主党を応援していた経済人の中でも、某自動車メーカーの経営者と、京セラの創業者、日本航空会長の稲盛和夫氏は突出していた観があった。
最初に断っておくが、経営者だろうが芸能人だろうが、日本で特定政党の支持を鮮明にすることはひじょうに勇気がいる。だから、そういう人々には、支持党派を超えて敬意を表したい。
一般の人々がより政治を身近なものにするためにも、彼らの発言は貴重である。
その上で、問いたい。
誰が何を支持しようと自由である。しかし、支持した結果について、責任は無いのか。
稲盛氏は、私費で政権交代の意見広告を新聞に載せ、小沢一郎元代表とテレビにも出演した。
批判を承知で堂々たる行動をとった。立派である。
そして、望み通りの政権交代。
いま、民主党政権は国民からの支持を失っている。で、稲盛氏はというと。
「現在の(民主党の)体たらくに落胆している。こんなつもりで支援したわけではなかった」(毎日新聞2011年2月8日)
そうですか。
では、勇気ある行動派の稲盛さんのことだから、応援した責任をとって、たとえば民主党に対する意見広告を出すとか、親しい民主党幹部たちをどやしつけるのですね。
あるいはご自身で言っていた、
「民主党が天下をとってもいい加減な政治をすれば、次に修正された自民党が政権をとる。何回か繰り返す間に必ずすばらしい人類の英知が生まれ、新しい国に変えてくれる」(朝日新聞2008年7月24日)
ために、行動するのですね。
言いっ放しなんて、無責任で軽薄な評論家のようなことは絶対にしないと思いますが。
どうなさるのですか?
「この後、新しい政治体制ができるのでしょうが、静観します」(毎日新聞同上)
はい?「静観」ですか?
煽って、かき回して、人を信じさせて、今になって「こんなつもりで支援したわけではない」と失敗を認めたにもかかわらず、「静観」ですか???
A子をB君に世話したXは、決して結婚後の責任はとらない。
「まあ、他人の家庭のことだから」
稲盛さん、あなたにとって政治は今や「他人ごと」なのですか?
私も若い頃愛読し、影響を受けた稲盛さんのご著書。
「人間いかに生きるべきか」と、ご立派なことをたくさんお書きになっている稲盛さんですから、きっと何か責任を取られるのでしょうね。
期待しています。
いや、これは稲盛氏からの、国民に対する警鐘ではないか?
有名人だろうが有能な経営者だろうが学者だろうが、彼らが言っていることを鵜呑みにしてはいけない。
私たち一人ひとりが自分の意見を持ち、自分が政治に参加するのだ、という意思を持たなければ、有名人にだまされてとんでもない目に遭うぞ、ということではないか。
さすが稲盛氏、と、一応しておこう。