フィリピンと韓国。
アジアの二人の元首が、毎日のように新聞に出ている。
ドゥテルテ大統領と、韓国の朴槿恵大統領。
ふと、終戦後に行われたマニラ軍事法廷を、思い出した。
ドゥテルテ大統領は、ミンダナオ島のダバオ市長であったが、生まれたのはレイテ島のマアシン。
ミンダナオ島もレイテ島も、その周辺海域を含め、第二次世界大戦終盤、日米の大激戦地となった。
当時、そのフィリピン方面を統括していた山下奉文将軍は、戦後になってマニラ軍事法廷で裁かれ、絞首刑になった。
山下将軍処刑の現場に立ち会った牧師の片山弘二氏は、同じくマニラにて処刑された中で印象に残った人物の名を、手記に記している。
韓国出身の、洪思翊(こう・しよく)陸軍中将。
洪中将は、処刑執行を前にやや動揺していた片山氏に対し、
「片山君、何も心配するな。私は悪いことはしなかった。死んだら真直ぐ神様のところへ行くよ。僕には自信がある。だから何も心配するな」
洪中将は裁判中、自身に対する弁解は一切せず、部下に対する裁判の時のみ、証言をしている。
新聞を読みながら、こんなエピソードが、頭の隅をよぎった。
アジアの二人の元首が、毎日のように新聞に出ている。
ドゥテルテ大統領と、韓国の朴槿恵大統領。
ふと、終戦後に行われたマニラ軍事法廷を、思い出した。
ドゥテルテ大統領は、ミンダナオ島のダバオ市長であったが、生まれたのはレイテ島のマアシン。
ミンダナオ島もレイテ島も、その周辺海域を含め、第二次世界大戦終盤、日米の大激戦地となった。
当時、そのフィリピン方面を統括していた山下奉文将軍は、戦後になってマニラ軍事法廷で裁かれ、絞首刑になった。
山下将軍処刑の現場に立ち会った牧師の片山弘二氏は、同じくマニラにて処刑された中で印象に残った人物の名を、手記に記している。
韓国出身の、洪思翊(こう・しよく)陸軍中将。
洪中将は、処刑執行を前にやや動揺していた片山氏に対し、
「片山君、何も心配するな。私は悪いことはしなかった。死んだら真直ぐ神様のところへ行くよ。僕には自信がある。だから何も心配するな」
洪中将は裁判中、自身に対する弁解は一切せず、部下に対する裁判の時のみ、証言をしている。
新聞を読みながら、こんなエピソードが、頭の隅をよぎった。