初回記載:2014年3月21日
追記:2017年11月8日
整体・カイロ等民間療法者への呼びかけ
これは私見であり、反対意見があることも知った上でここに記載するものです。
根本原則として、病気の治療は医療機関で行われるべきものと考えます。医師、看護師、検査技師(検査部門)、理学療法士、作業療法士、社会福祉士、医療コーディネーター等々が医療設備を用いて、責任の明確な立場の方々が患者を検査し、治療し、看護するもの、と考えます。まして、子どもの病気に対してはそれが否定される理由がどこにあるのでしょう。 特発性側弯症は子どもの病気です。自分の症状や治療内容を理解できる大人ではありません。 子どもなのです。
民間療法者は、大人を対象としてビジネスをすることで何が不満なのでしょう? 自分達が子ども達を救っていると本当に信じているのであれば、その医学的証拠を、医学データととして認められるレベルのものを提示すべきです。施術前後の写真は証拠ではありません。患者さんからの感謝の手紙は証拠ではありません。医者を巻き込んで「これは凄い」とと語ってもらうことは証拠ではありません(そもそも医者であるならば、医学データの何たるかは知っているはず。医者の自分が凄いと言うのだから、これは事実だ。というのは権威を利用した「まやかし」「印象操作」です)。政治家を連れてきて、「これは凄い」と語らせることは証拠ではありません。〇〇協会や△△団体から表彰されることは証拠ではありません。 医学データを示すことなく、事情を理解しえない子どもを治療しようとすることは、もちろん医療ではなく、道義にも倫理にも反する行為です。
>>洗脳を解くには (側弯専門医)
>>2012-01-21 12:27:05
>>私は脊椎専門外来を行っている整形外科医師です。先日、私どもの、外来に特発性側弯症の患者さまが受診されました。
>>思春期特発性側弯、胸椎カーブが55度に達しており、他院でも手術適応と説明を受けておられるようです。
>>母親も含めて患者さんは、現在でも、東京にある側弯整体に通院されておられ、同院での治療で側弯が治ると完全に洗脳されています。
>>このような患者さまの洗脳を解くために、頭を悩ませていたところに本ブログページに行き当たりました。
>>今後、どのように説得すれば、彼女たちを救えるのか、過去の事例など含めて教えていただきたくメール投稿させていただきまし
>>た。宜しくお願い致します。
これまでの空白期間中に頂いていたコメントを少しづつ開く作業をしているころです。
こちらのいただいたコメントも、2年前のもので、まことに申し訳ございません。
ただ、お問い合わせいただいた内容は、2年前どころか、もっともっと10年も、それ以上も前から、脊椎専門医師を悩ませてきている出来事ですので、ここに改めて、august03としての「意見」を述べさせていただきたいと思います。
と、申しましても、この問題については、いままでも何度も書いてきましたので、内容としては、以前と大きく変わることはないと思いますが、もし少し違うとしたら、それは、私自身も、この空白期間に、一度ならず、もうダメかなと諦めかけた経験をへて、あらためて「人生」とか「人間」というものを見る目が変わったかもしれない、ということがあります。 自分で自分の書き溜めてきた過去ログを読み返す体力がまだありませんので、昔と言い方が変わったと思われる場面もでてくるかと思いますが、そういう事情があることをご理解いただければと思います。
第一として、「先生がた」に申し上げたいのは、洗脳を解くのは先生の仕事でも、役目でもありません。ということ。
先生には、先生にしかできない「仕事」があります。是非ともそれに精進されて下さい。洗脳を解けないことで先生が責任感や、焦燥感、あるいは、悲嘆にくれないで下さい。「洗脳」された方々には、その方々の事情というものがあり、それはそれで、可哀想な出来事であり、またご本人達にとっては、はたからとやかく言われたくないという思いにいるわけですから、先生は、その客観的事実だけを受け止めて、もしそのうえで、先生に助けを求めてきたならば、温かく受け止めて、助けてあげていただければと願います。
洗脳されたお母さんの心の問題を解決するのは、あるいは同じ境遇のお母さんであるかもしれず、あるいは、お子さん自身からの「お母さんが間違ってると思う」というお子さんからの一言かもしれず、あるいは、心療科の先生のケアかもしれません。そういう形での解決を待つしかないと思います。ですから、先生は、まずは「病気の治療」......それは多くの場合、手術なのですが.....に専念されることが、最終的には、問題の解決につながると思います。
洗脳されている方々も、ちょっとしたきっかけで、立ち直ることにつながることを私は期待しています。
例えば、次のような詩を、読んでみてもらえますか.....
................................................................
「行かなかった道」(THE ROAD NOT TAKEN)
森の中で道が二つに分かれていた
残念だが両方の道を
進むわけにはいかない
長い間立ち止まって
私は一方の道を眺めていた
その先は折れており、
草むらの中に消えている
それからもう一方の道を眺めた
一見同じようだが
私の心はこちらのほうを選んだ
なぜならこちらの道は
草がぼうぼうで
誰かが通るのを待っていたからだ
いま深いためいきとともに
私はこれを告げる
ずっとずっと昔
森の中で道が二つに分かれていた。
そして私は…
人があまり通っていない道を選んだ
そのことが
どれだけ大きく
私の人生を変えたことかと
.................................................................
人生で学んだすべてを
私は3語にまとめられる。
それは
「何があっても人生には続きがある」
ということだ。
ロバート・フロストより
洗脳されたお母さんには、いまの目の前のことしか見えていないのですね。
人は、自分が見たいものをみ、聞きたいことをきく、
その先に何があるか、ということは考えたくないもの
なぜなら、ひとは弱い生き物ですから
でも、側弯症は、人生の終わりではない、ということに、いつか気づいてくれるときが、来ると信じたい。
生きていく、ということは、ある意味、つねに戦いの連続のようなもの
その試練のひとつとして、側弯症という名前の壁がお子さんと、そしてお母さんの目の前に突き付けられました
それをどう乗り越えていくか、
目の前のふたつの道、どちらを進むにせよ、その道は平坦ではありません
お母さんは、お子さんを死ぬまで面倒を見れるわけではありません
お子さんは、お子さん自身の足で、立って、立ち上がって、歩いていく
その力を身に着けなくてはいけないときが、必ず来るのですから
生きる、ということは、辛いことの連続
そのなかで、少しの楽しみ、ひと時の安らぎを感じられるならば、それを幸せと呼びたい
負けない心、くじけない心があれば
幸せは必ずやってきます
他人ではなく、
あなた自身を
自分自身を信じて下さい
august03
追記:2017年11月8日
整体・カイロ等民間療法者への呼びかけ
これは私見であり、反対意見があることも知った上でここに記載するものです。
根本原則として、病気の治療は医療機関で行われるべきものと考えます。医師、看護師、検査技師(検査部門)、理学療法士、作業療法士、社会福祉士、医療コーディネーター等々が医療設備を用いて、責任の明確な立場の方々が患者を検査し、治療し、看護するもの、と考えます。まして、子どもの病気に対してはそれが否定される理由がどこにあるのでしょう。 特発性側弯症は子どもの病気です。自分の症状や治療内容を理解できる大人ではありません。 子どもなのです。
民間療法者は、大人を対象としてビジネスをすることで何が不満なのでしょう? 自分達が子ども達を救っていると本当に信じているのであれば、その医学的証拠を、医学データととして認められるレベルのものを提示すべきです。施術前後の写真は証拠ではありません。患者さんからの感謝の手紙は証拠ではありません。医者を巻き込んで「これは凄い」とと語ってもらうことは証拠ではありません(そもそも医者であるならば、医学データの何たるかは知っているはず。医者の自分が凄いと言うのだから、これは事実だ。というのは権威を利用した「まやかし」「印象操作」です)。政治家を連れてきて、「これは凄い」と語らせることは証拠ではありません。〇〇協会や△△団体から表彰されることは証拠ではありません。 医学データを示すことなく、事情を理解しえない子どもを治療しようとすることは、もちろん医療ではなく、道義にも倫理にも反する行為です。
>>洗脳を解くには (側弯専門医)
>>2012-01-21 12:27:05
>>私は脊椎専門外来を行っている整形外科医師です。先日、私どもの、外来に特発性側弯症の患者さまが受診されました。
>>思春期特発性側弯、胸椎カーブが55度に達しており、他院でも手術適応と説明を受けておられるようです。
>>母親も含めて患者さんは、現在でも、東京にある側弯整体に通院されておられ、同院での治療で側弯が治ると完全に洗脳されています。
>>このような患者さまの洗脳を解くために、頭を悩ませていたところに本ブログページに行き当たりました。
>>今後、どのように説得すれば、彼女たちを救えるのか、過去の事例など含めて教えていただきたくメール投稿させていただきまし
>>た。宜しくお願い致します。
これまでの空白期間中に頂いていたコメントを少しづつ開く作業をしているころです。
こちらのいただいたコメントも、2年前のもので、まことに申し訳ございません。
ただ、お問い合わせいただいた内容は、2年前どころか、もっともっと10年も、それ以上も前から、脊椎専門医師を悩ませてきている出来事ですので、ここに改めて、august03としての「意見」を述べさせていただきたいと思います。
と、申しましても、この問題については、いままでも何度も書いてきましたので、内容としては、以前と大きく変わることはないと思いますが、もし少し違うとしたら、それは、私自身も、この空白期間に、一度ならず、もうダメかなと諦めかけた経験をへて、あらためて「人生」とか「人間」というものを見る目が変わったかもしれない、ということがあります。 自分で自分の書き溜めてきた過去ログを読み返す体力がまだありませんので、昔と言い方が変わったと思われる場面もでてくるかと思いますが、そういう事情があることをご理解いただければと思います。
第一として、「先生がた」に申し上げたいのは、洗脳を解くのは先生の仕事でも、役目でもありません。ということ。
先生には、先生にしかできない「仕事」があります。是非ともそれに精進されて下さい。洗脳を解けないことで先生が責任感や、焦燥感、あるいは、悲嘆にくれないで下さい。「洗脳」された方々には、その方々の事情というものがあり、それはそれで、可哀想な出来事であり、またご本人達にとっては、はたからとやかく言われたくないという思いにいるわけですから、先生は、その客観的事実だけを受け止めて、もしそのうえで、先生に助けを求めてきたならば、温かく受け止めて、助けてあげていただければと願います。
洗脳されたお母さんの心の問題を解決するのは、あるいは同じ境遇のお母さんであるかもしれず、あるいは、お子さん自身からの「お母さんが間違ってると思う」というお子さんからの一言かもしれず、あるいは、心療科の先生のケアかもしれません。そういう形での解決を待つしかないと思います。ですから、先生は、まずは「病気の治療」......それは多くの場合、手術なのですが.....に専念されることが、最終的には、問題の解決につながると思います。
洗脳されている方々も、ちょっとしたきっかけで、立ち直ることにつながることを私は期待しています。
例えば、次のような詩を、読んでみてもらえますか.....
................................................................
「行かなかった道」(THE ROAD NOT TAKEN)
森の中で道が二つに分かれていた
残念だが両方の道を
進むわけにはいかない
長い間立ち止まって
私は一方の道を眺めていた
その先は折れており、
草むらの中に消えている
それからもう一方の道を眺めた
一見同じようだが
私の心はこちらのほうを選んだ
なぜならこちらの道は
草がぼうぼうで
誰かが通るのを待っていたからだ
いま深いためいきとともに
私はこれを告げる
ずっとずっと昔
森の中で道が二つに分かれていた。
そして私は…
人があまり通っていない道を選んだ
そのことが
どれだけ大きく
私の人生を変えたことかと
.................................................................
人生で学んだすべてを
私は3語にまとめられる。
それは
「何があっても人生には続きがある」
ということだ。
ロバート・フロストより
洗脳されたお母さんには、いまの目の前のことしか見えていないのですね。
人は、自分が見たいものをみ、聞きたいことをきく、
その先に何があるか、ということは考えたくないもの
なぜなら、ひとは弱い生き物ですから
でも、側弯症は、人生の終わりではない、ということに、いつか気づいてくれるときが、来ると信じたい。
生きていく、ということは、ある意味、つねに戦いの連続のようなもの
その試練のひとつとして、側弯症という名前の壁がお子さんと、そしてお母さんの目の前に突き付けられました
それをどう乗り越えていくか、
目の前のふたつの道、どちらを進むにせよ、その道は平坦ではありません
お母さんは、お子さんを死ぬまで面倒を見れるわけではありません
お子さんは、お子さん自身の足で、立って、立ち上がって、歩いていく
その力を身に着けなくてはいけないときが、必ず来るのですから
生きる、ということは、辛いことの連続
そのなかで、少しの楽しみ、ひと時の安らぎを感じられるならば、それを幸せと呼びたい
負けない心、くじけない心があれば
幸せは必ずやってきます
他人ではなく、
あなた自身を
自分自身を信じて下さい
august03