闇の中にも光はある
曇った眼で、闇を見てはならない
光の中にも闇はある
利口すぎる眼で、光を見つめてはならない
光と闇は
対立を生むが
たがいがたがいに依存している
ちょうど右足の歩みが
左足の歩みに依存しているように
——石頭和尚
世の中で最もしなやかなものは
世の中の最も堅いものを貫通する
無は隙間のないところに入り込む
ここで私は、行動のない行動の価値を知り言葉のない教えの価値を知る
行動のない行動の価値に匹敵できるものは世の中に何もない
——老子
とつぜん、目がさめて自分を見れば、
おのれの姿に戻っていたのでおどろいた
いったい自分は、蝶になる夢を見ている人間だったのか
ひょっとすると自分は、人間になる夢を見ていた蝶であったかもわからない
蝶と自分との間には存在の別がある
それは、人が絶え間ない変容と呼ぶものである
——荘子
プロローグ
俺の名は、孔明。
どうやら地上に落ちてきた龍らしい。「らしい」というのは、天界時代の記憶がないからだ。
しまつの悪いことに逆鱗に触れられると、今でも龍になってしまう。だが、己が龍になったときの記憶は残っていない。
失われた記憶があるというのは、幸せなのか、不幸なのか?
人生は、希望と絶望がいつも同じ船に乗っている。
うっかりすると、絶望に目を奪われそうになる。だが、気がつかないだけで希望はいつでもすぐそばにいるのだ。
師宣わく、「迷いをすてよ」。よく聞く言葉だ。
だが、迷いをすてるには、まず迷わなければならない。
それどころか、迷うことでしかわからないことも多いはずだ。
最初から迷いのないものに何を知ることができる?
迷って、迷い抜いて、たどり着いたものにこそ、価値があるのでは?
これまで、俺は神々のゲームに巻き込まれて来た。
ナオミという元海神界のマーメイドで、共に闘う仲間も出来た。
マクミラという元冥界の神官で、ヴァンパイアのライバルも出来た。
だが神々のゲームは、アポロノミカンをめぐる争いから、宇宙のバランスさえこわしかねない“絶対悪”をめぐる争いへと変わっていってしまった。
あまり自分のことは語ってこなかった俺だが、最後の闘いではじいちゃんや妹まで関わる闘いになりそうだ……
なに、自分のことさえわからぬお前に、争いに関わる資格があるのか? おそらく、ないだろう。
だが、自分さえわからぬ龍が、流れる雲のごとく運命を捜してみるのも、一興ではないか? じいちゃんと妹との荒修行で、仲間たちと俺も天界時代の姿を取り戻す術を得た。
トラブルに引き寄せられるマーメイド、ナオミも共に“絶対悪”との闘いに加わってくれた。マクミラとその眷属たちも意外な形で関わった。
ほう、俺たちの闘いの話を聞いてみたいとは酔狂な奴。
だが、こんな晩には仲間たちとの記憶が甦ってくる。ナオミやマクミラほどうまく語れるかどうかわからないが、せっかくの長い夜だ。
くだらないことを考えるより先に、さあ、今宵の物語を始めよう!
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