次の日、喪服のような服を着て夏海は出て行った。
以前出演したホノルルの舞台が評判になり自分目当ての客が増えたのを夏海はよろこんでいた。だが、数ヶ月前から、君には才能がある、チャンスをあげるからニューヨークに来ないかとある劇団に誘われて気持ちが揺れていた。
仕事から帰ったケネスは、置き手紙を見つけた。
ケネスへ
いままでありがとう。大きなあなたの愛に包まれてこのまま自分のしたいことが出来なくなってしまうことが怖いの。ゴメンナサイ。
劇団に誘われてチャンスだと思いました。どうしても自分の可能性を試したい。心が動いたのは、昔の恋人がニューヨークにいると聞いたこともあります。さびしい時に出会ってやさしくしてもらったくせになんて女と思います。でも自分を偽りながら暮らせない。あなたは何も悪くない。私がわがままなだけ。
ナオミを置いていきます。わたしにも彼女にもつらいけど、あなたとナオミは一緒にいることが必要だと思います。理由はうまく言えないけど。
いつまでも今のままのあなたでいてください。 夏海
ところどころ字がにじんで読めなくなっている手紙をケネスは握りしめた。
「美人は悪筆」が常だが、夏海の欠点は字がヘタなことだった。
しかし、この手紙が読めないのは彼女が落とした涙のせいだった。
俺みたいなろくでなしと一緒にいたのが不思議だったんで、これでまともに戻るだけさ。だけど偶然は百パーセントの確率で起こったという意味では「必然」なんだ。俺たちが出会って過ごした期間にも何か意味があったはずだ。
チャンスの神の後頭部はつるっぱげ、前からつかまえる奴だけが前髪を掴める。新しいものを得るには今あるものを捨てる覚悟が必要だ。
感謝してるぜ
ケネスは去っていった夏海に向かってつぶやいた。
ナオミが理解出来ないのは、意識的にせよ無意識にせよ、人はなぜウソをつくのかだ。始末が悪いことに思いやりから言ったこともしばしばウソになる。
だが、なぜ人がウソをつくのか夏海が去った後で少し理解した。
彼らは真実に直面することが時に耐え難いのだ。己の信じるところに全力をつくして、結果をあるがままに受け入れる神々とは異なった存在なのだ。
だから、正直にうち明けた夏海と悪役を演じるケネスを偉いと思った。ウソをつかれたショックを考えれば、真実をそのまま受け入れることが大切なのだ。
「真実が真実以上に傷つけることはない」のだから。
なぜ泣かないの、ケネス、と自分も泣いていないナオミは思った。
そもそも人は別れの場面でなぜ悲しむのか。
泣くことであまりに悲しい思い出を身体的な行動に昇華させたいのか。それとも、泣くことでそれを強い思い出にしたいのか。
だが、学んだのはあまりに悲し過ぎても泣けないということだった。
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