やらせてみたら駄目だった――ムスリム同胞団と民主党
<< 作成日時 : 2013/07/07 23:00 >>
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【エジプト軍クーデター】モルシ大統領拘束、10人以上死亡
エジプト軍司令官を兼務するシシ国防相は3日夜、国民向けに緊急演説し、反政府デモ拡大による混乱を収拾するため、憲法停止を宣言、モルシ大統領の権限を剥奪したと発表した。国政に大きな影響力を持つ軍によるクーデター。フランス公共ラジオによると、モルシ氏は国防省で拘束されているという。
マンスール最高憲法裁判所長官が4日、暫定大統領に就任し、暫定政権づくりが本格化。ムバラク政権を崩壊に追い込んだ2011年の革命後、初の自由選挙で選ばれたモルシ氏は就任わずか1年で政権の座を追われ、エジプトの民主化はさらに混迷が深まった。
発表後に国内各地でモルシ氏支持者が反対派や治安部隊と衝突し、ロイター通信によると、少なくとも14人が死亡した。(2013.7.4 15:52 共同)
モルシー大統領退陣を要求し、カイロのタフリール広場に集まった群衆
【エジプト軍クーデター】歓喜に沸く首都 軍部への信頼感厚く
【カイロ=遠藤良介】エジプト軍によるモルシー前大統領の権限剥奪から一夜明けた4日、デモ隊が歓喜の渦に包まれた首都カイロのタハリール広場にはなおモルシー政権転覆を祝う市民が集い、“祭り”の余韻に浸っていた。大規模デモの舞台となった同広場には今回、ムバラク政権を終結させた2011年を上回る数の人々が繰り出したといい、軍部に対する国民の信頼感がうかがわれた。
「これは軍のクーデターではなく、人々の意思だ」。英語教師の男性(52)はこう話し、「ムバラクが傲慢で愚かだったのに対し、モルシーとその一派は安全保障の脅威ですらあった」と息巻いた。公務員の男性(35)も「モルシー政権転覆で11年革命が完結したのだ。軍が政治介入を強めることはない」と語る。
軍がモルシー前大統領の排除を発表した3日夜、広場を埋め尽くした人々からは地響きのような歓声が沸き起こり、夜空は次々と打ち上げられる色とりどりの花火に染まった。カイロ市内の各所では4日未明まで、若者らが国旗をはためかせながら街路を練り歩き、道行く乗用車が警笛を連打するなどして喜びを爆発させていた。
(2013.7.4 20:52 産経)
軍事クーデタに歓喜って、いったいエジプトはどうなっているのか!?
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2年前――
30年続いたエジプトのムバラク独裁政権。政治腐敗と経済失政に、国民の怒りがマグマのように蓄積されていました。高齢のムバラクは息子に大統領職を継承させようとしたことが、火に油を注ぎました。
隣国チュニジアで起こった民衆蜂起の模様は、国営メディアが報道規制を敷いたにも関らず、携帯とネットを通じてまたたく間にアラブ諸国に広まります。
エジプトでも若者がネットで抗議行動呼びかけ、これに応じた数万の民衆が首都カイロのタフリール広場に集まり、ムバラクに退陣を要求。軍が鎮圧を拒否して民衆の側に立ったため、ムバラク政権は崩壊しました。ムバラクは軍に拘束され、体調を悪化させて死亡します。
独裁崩壊ドミノはリビア、イエメン・シリアヘと飛び火し、欧米メディアはこれを「アラブの春」と呼んで称賛しました。
関連記事 第2次エジプト革命勃発①
ところが…
王政→英国の保護国→軍政→大統領独裁…という近代史を歩んだエジプト人には民主主義の経験がほとんどありません。ムバラク政権下では強力な野党は存在せず、タフリール広場に集まったのは「反ムバラク」しか共通項のない烏合の衆でした。ムバラクという「共通の敵」を倒したあとの主導権争いで台頭したのが、イスラム原理主義のムスリム同胞団です。
イスラム原理主義(イスラム復古主義)は、7世紀の預言者ムハンマドの時代を理想とし、『コーラン』に基づくイスラム法(シャリーア)を現実社会に適用すべきだ、という思想です。学校では『コーラン』履修を義務付け、女性はスカーフを着用、酒は厳禁…となります。
完全無欠な理想世界をイメージし、社会変革によって貧困、差別などの社会問題を魔法のように解決してしまおうという思想は、共産主義とも似ています。イスラム原理主義と共産主義の違いは、唯一神(アッラー)を認めるか否かという点です。
ムスリム同胞団は1920年代に小学校教師ハサン=アル=バンナーが組織しました。彼は、モスクや学校、病院の共同経営、貧困者への支援などを通じて50万人規模にまで組織を拡大し、これを危険視した国王政府によって、アル=バンナーは暗殺され、組織は弾圧されます。
王政を倒したナセルのエジプト革命(1952)――実態は軍事クーデタ――に同胞団は協力しますが、やがて共産主義のソ連に接近するナセル軍事政権と対立。ナセル暗殺未遂事件を機に同胞団は非合法化され、指導者は拷問・処刑されて組織は大打撃を受けます。
アル=バンナーの後継者サイイド=クトゥブ(66年に処刑)は獄中でこう説きました。
「ジハード(聖戦)は、異教徒の英・米・イスラエルに対するものだけではない。堕落し、世俗化した現代のイスラーム諸国の指導者も、ジハードの対象である!」
「立法権を持つのは唯一神(アッラー)のみ。人間に立法権を認める民主主義は、人間を神格化することであり、神への冒涜(ぼうとく)である」
アル=バンナーと獄中のクトゥブ(右)
サイイド=クトゥブに触発された同胞団の過激派は、秘密結社のイスラム集団、ジハード団を組織し、70年代以降テロ活動を繰り返します。
1981 サダト大統領暗殺
⇒イスラエルとの和平(1979)に対する報復。
難を逃れた副大統領ムバラクが大統領に。
1992 ルクソール事件
⇒古代遺跡テーべで外国人観光客58人(日本人10人)を殺害。
観光業に打撃を与え、政権を揺さぶる目的。
ジハード団のメンバーである医師のアイマン=ザワヒリは、ソ連と戦っていたアフガニスタン=ゲリラ支援を通じてサウジアラビア出身のオサマ=ビン=ラーディンと出会い、国際テロ組織アルカーイダを結成します。ビン=ラーディン暗殺(2011)後、ザワヒリはアルカーイダのNo.1です。
ビン=ラーディンとザワヒリ(右)
イスラエルの占領にロケット攻撃で抵抗を続けている武装組織ハマスも、同胞団系の団体です。
このような過激派の暴走を、一般のエジプト人は支持しません。ムスリム同胞団は、一般大衆の支持を得るため、穏健な政治団体としても活動を継続しました。ムバラク政権下で弾圧が緩むと、同胞団員は無所属候補として選挙に出馬し、下院で88議席を獲得します(2005)。 ムバラク政権が崩壊すると、彼らは自由公正党を組織し、2012年の下院選挙で235議席を獲得して第1党になりました。同年の大統領選挙では、自由公正党のムハンマド=モルシーが当選します。
モルシー支持を掲げるムスリム同胞団員。帽子とあご髭が特徴。
民主主義を否定する政治団体が、民主的な方法で政権を獲得する という例は、1930年代のナチスの政権獲得、1940年代の共産党の人民民主主義など、世界史上にいくつも例があります。この場合、政権獲得後に「国民の信を得た」と称して憲法の停止や改正を行い、野党の弾圧に転じるというパターンが多い。
モルシー政権は、イスラエルとハマスの和平交渉を仲介しつつハマスの肩を持ち、米国が毛嫌いするイラン革命政権のアフマディネジャド大統領と相互訪問。
国内では、「万年野党」だったムスリム同胞団は政治の素人集団で、ムバラク政権に任命された官僚・軍・裁判所とのあつれきが続きます。かつてルクソール事件を起こしたイスラム集団の幹部をルクソール知事に任命(日本でいえば、連合赤軍か核マル派の幹部を県知事にするようなもの)、観光業界から猛抗議を受けて辞任に追い込まれています。
極めつけは昨年(2012年)11月の憲法改正案でした。「大統領令を裁判所は覆せない」と規定し、大統領独裁への道を開こうとします(のち撤回)。反モルシ-・デモが始まったのは、ここからです。
2年前、ムバラク打倒のデモで埋まったタフリール広場にはモルシ-打倒を叫ぶ世俗派の民衆が集まりました。一方で、「選挙で選ばれた」モルシ-支持を叫ぶ同胞団系の民衆も終結し、双方の間で暴力行為も発生。軍が反モルシ-派についたことで今回の政変となりましたが、同胞団がこのまま引き下がるとも思えません。
モルシー支持派のデモ
モルシ氏支持派がエジプト各地で大規模デモ、衝突で死者も
[カイロ 5日 ロイター] ムスリム同胞団の首脳モハメド・バディア氏は5日、軍と和解する用意があるものの、解任されたモルシ大統領を復権させることが条件になるとの見解を明らかにした。集まったデモ隊に述べた。
バディア氏は抗議行動は戦車よりも強いと強調、またデモ隊に発砲しないよう軍に呼びかけた。
同氏の発言を受けて、エジプトの政情不安が中東の他の地域にも波及するとの懸念から原油価格が上昇。北海ブレント先物8月限は一時2%超値を上げ、107.88ドルをつけた。
モルシ氏支持派は5日、モルシ氏解任と暫定政府樹立に抗議するため、大規模デモを行った。治安当局筋によると、カイロのモルシ氏が拘束されている建物近くで少なくとも3人が銃弾を受けて死亡した。
(2013年 07月 6日 08:33 JST ロイター)
モルシ氏支持派に銃撃、42人死亡 「軍の発砲でない」と目撃者
【7月8日 AFP】エジプト・カイロ(Cairo)の共和国防衛隊(Republican Guard)本部前で8日早朝、ムハンマド・モルシ(Mohamed Morsi)前大統領の解任に抗議するデモ隊が銃撃を受け、少なくとも42人が死亡し、322人が負傷した。救急当局が同日、AFPに語った。目撃者によると、発砲したのは軍人ではなく、一般人の格好をしていたという。
これに先立ち、モルシ前大統領の出身母体「ムスリム同胞団(Muslim Brotherhood)」は、警察と治安部隊がデモ隊に発砲し、同胞団の支持者35人が殺害されたと発表していた。しかし、現場にいた同胞団の支持者を含む複数の目撃者は、軍は催涙ガスを発射し威嚇射撃をしていただけだったと話している。
事件を受け、厳格なイスラム原理主義を掲げる「サラフィスト(Salafist)」の「ヌール党(Al-Nur、光の党)」は同日、暫定政権の樹立に向けた協議から離脱すると表明した。2011年の選挙で25%近くを得票し、議会第2党となったヌール党はこれまで、前週の軍によるモルシ氏の大統領解任を支持していた。
一方、エジプト軍が半国営の中東通信(MENA)を通じて明らかにしたところによると、デモ隊への銃撃があった後、武装したモルシ氏の支持者らが兵士2人を拉致したとみられている。2人は車に押し込められ、拡声器を通じてモルシ氏を支持し軍を批判するよう強制させられたとし、その様子は映像に撮影されていた。また兵士1人については暴行を受けた様子がみられたという。
また治安当局筋によるとエジプト検察当局は、ムスリム同胞団の政治組織「自由公正党(Freedom and Justice Party)」の政党本部から武器が見つかったとして、本部の閉鎖を命じた。警察の捜索で「可燃性の液体、刃物や武器など」が押収されたという。(c)AFP
(2013年07月08日 19:41 AFP)発信地:カイロ/エジプト
発砲したのは、軍でもモルシ-支持派のデモ隊でもなく、エジプトを内戦に陥れて利益を得ようとする者たちでしょう。アルカーイダ系のテロリストか? イスラエルの工作員か?
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