〇三
おいおいと泣きじゃくるハーラ。話にならないのでテーリに話しかけた。
「置き去りにしたはずの愛馬レッドバロンが宿屋に繋がれていたんだとさ。奇跡だー!って号泣してるよ。」
やれやれというふうにテーリが首を振る。何をそんなに不機嫌なのかとナーレが問うと、テーリが口を開く前にハーラが口を挟んだ。
「違う!烈弩馬龍(れつどばろん)だっ!烈しい弩級の馬をも龍(ロン)をも超える存在なんだよ!もっと尊べよ!」
「なんか知らんけど、僕の発音や敬意のなさが気に入らないんだとさ。」
ナーレは心配して損したと、ぶつけた頭をさすりながら宿屋に戻った。
「貴族ってのはどうしてああも大袈裟で、芝居がかった物言いなんだろうね。人騒がせも甚だしい。」
テーリやハーラと同じように、実はナーレも夢を見ていた。義兄弟なんて大仰な契約を結んだものだから、朝目覚めたら気恥ずかしさでモジモジしあう三人。よろしく頼むぜ兄貴、なんて軽口を叩きつつ照れ笑いをするナーレ。窓から差し込む旭を三人で眩しげに眺める。さあ冒険が始まるぞ、という高揚感に満たされた朝。そんな夢だった。
現実は悪夢にうなされる次男分を慰め、長男分が取り乱して部屋を飛び出すのを追いかけるだけの格好のつかない朝だった。義兄弟の契りってどうやったら破棄できるのかな?などと不謹慎なことを考えながら、空いているテーブルについた。
「随分騒々しいお仲間さんだね。飯はどうする?」
《リザードフォーク》の男がぶっきらぼうに尋ねて来た。この宿屋の主人だ。煌びやかな鱗が眩しく傷一つない。危険な道を避けて真っ当に歩んできた証である。ああ、ここは東マータだったな、とナーレは改めて自分のいる地域を確かめていた。東マータには《リザードフォーク》や《トートル》のような《鎧う人》に属する人種が多かった。ナーレの故郷の南マータは交易に携わる《獣人》が多かった。地域差ってやつは面白いもんだ。ナーレはハーラのことを忘れて、宿屋の主人の顔をまじまじと見つめていた。
「やめろよ、坊主。まだお天道様が上ったばっかりだ。そんな目で見るない。」
見初められたと勘違いしたリザードフォークが顔を赤らめた。思わぬリアクションにナーレはげんなりとして、
「んなことはいいから、三人分、一番安い飯をちょうだいな。それと冷たいミルクを一つ。」
と朝飯を注文した。
「ミルク追加!」
「僕もだ…うぅ、奇跡に感謝…。」
タイミングよくテーリと引きずられたハーラが席に着いた。
「面倒臭い兄貴分だな。」
テーリがナーレに同意を求める。
「本当に。」
テー兄も義兄弟を嫌になってるんだろうなと自分と重ねながら、ナーレは深々と頷き無言で朝食が運ばれるのを待った。
エントランスを兼ねる食堂、仕切りのない一階部分は相当な広さであった。机の間をのそのそと動き回る《トートル》の女給仕。急かしてもいいことはないな、とテーリは食堂を見渡した。奥に一組の老夫婦が座っている。朝食を摂りにきたのだろう。薄いパイ生地にジャムや練り物を塗って、黙々と食べていた。時折夫の口元を拭いている。甲斐甲斐しい奥さんだと感心しつつ、視線を隣のテーブルに移した。老夫婦と自分たち「義兄弟」以外の唯一の客。流し見るつもりが、視線が釘付けになった。ハーラとナーレも同じ相手を見て、あっと声を上げた。
「オデ(おれ)、お前たちの役に立ったな!」
《サンダー渓谷》の谷底で出会った《コボルド》がのほほんとした表情で、パイを頬張っていた。
【第2話 〇四に続く】
次回更新 令和7年1月30日木曜日
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妙に馴れ馴れしくて親切な《コボルド》。警戒する義兄弟がかまをかけると…。