それは、有名な牧師先生のお話だった。その先生が教会堂を建てるために大変なご苦労をされて、奥様も貧しい食事のために何度も流産をされたという記事があり、私は此処で「これは、なんだか変だ。」と思った。
私もひとりの女として、また、子を持つ母として、この記事から受けたショックは大きく、何十年経っても忘れ得ないで考えてしまう。
子どもは、主が「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」と命じられたのであり、
「見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。」とも言われ、その祝福を受ける事の方がなによりも大切なのではないかと思ったからである。
主はなんの働きもない者にも豊かに恵むお方。私のような者にさえそうなら、それが、主にとって本当に必要ならば、どうして主御自身が教会の必要を備えて下さらないことがあろうかと私にはそのように思えた。繊細な主のご計画にいけにえは要らないと・・・。
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そこで、イエスは彼らの目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ。」と言われた。(マタイ9:29)