獏の伊賀生活

昨今益々政治の貧困を感じます。平和な日本や地球のことを最真剣に考え行動して欲しいです。私利私欲に走らないよう

生きる喜びJoie de Vivre号 逝く

2013年05月30日 11時37分55秒 | 中央競馬

私の2011年のPOG馬だったJoie de Vivre号が昨日天に召された。

2009.5.13日に生まれ

2013.5.29日に今週の鳴尾記念の出走に向け調教中下腿開放骨折による予後不良のため亡くなった。

1478日間(4年少し)の馬生だった。

私には生きる喜びを与えてくれたんだが、本人は生きる喜びは感じていたのだろうか…

ありがとうJoie de Vivre

忘れないよ 貴女が生きる喜びを与えてくれたことを


小さな身体で頑張った貴女の成績をここに書き留めておきます。

2011.11.12 京都 新馬戦 優勝

2011.12.11 阪神 阪神JF(G1) 優勝

2012.3.3   阪神 チューリップ賞(G3) 3着

2012.4.8   阪神 桜花賞(G1) 6着

2013.2.10  京都 京都記念(G2) 7着

2013.3.19  中京 中日新聞杯(G3) 6着

2013.5.12  東京 ヴィクトリアマイル(G1) 4着



                                                                   合掌


 

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葵・涼・居候(漱石)ワクチン接種

2013年05月23日 10時58分35秒 | 葵と涼

 

昨日 くノ一が休みだったので、犬猫病院から案内をもらっていた葵・涼・居候(漱石)のワクチン接種に行った。

午前中は葵・涼

夕方に居候(漱石)

葵と涼は久々に車に乗れるので 喜んで車に乗り犬猫病院へ

お二方とも窓から外の景色を眺めながら

しかし犬猫病院の駐車場に着き 外に出ると危険を察知車の中に入ろうとする。

飼い主のくノ一に呼ばれて仕方がなく葵から病院内へ

診察台に抱えて載せられ あえなく8種混合ワクチン接種完了

涼は先月の狂犬病予防接種の際 私の手を噛み内・外出血をさせた前科があるので、先生に「噛みますから…」と一言

飼い主くノ一と私に対する態度はまるで違い 噛むこともなくおとなしく完了

フラリアの経口薬6か月分をいただき帰宅となった。

お二方の医療費は上記レシートの通り


       
夕方居候(漱石)は大好きな紙袋に喜んで入り首だけ出して、車に乗ったとたん様子がおかしいのを察知

今まで聞いたことのない 大きな声でギャア・ギャア泣き叫ぶ

叫びながら犬猫病院到着 紙袋から出され 診察台でおとなしく猫3種混合ワクチン接種 完了

帰宅途中の車の中では興奮醒め止まないのか袋から逃げ車の後方座席で口を開け落ち着かない様子だった。

帰宅すると喜んで自分の居場所に向かい落ち着いた様子にひと安心

居候(漱石)の医療費は4000円也


家族の一員なので飼い主はくノ一ですが、私が半分以上援助しました。

居候(漱石)は猫苦手な私もとても癒されていますので、元気で預かり先のあの方の元に行けるまで元気でいてくれれば、私としてはとても嬉しいです。



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鈴鹿八鈴会同窓会第2回?3回

2013年05月14日 18時55分08秒 | 伊勢の国

先日の5月12日(日)鈴鹿八鈴会の同窓会が京都 嵯峨嵐山のコミュニティ嵯峨野で東京・関東のお世話で参加者22名で行われました。(会いたかったW引さんが開催日を間違え前日に現地からまだ誰も来ないと電話があったそうで当日は欠席)

昭和46年4月から12月まで9カ月間 北は北海道南は九州沖縄までの(まだ沖縄は我が国ではなかったのですが2名)我が国の通信インフラをささやかでも支えるため技術を習得し現場で活かすため1組33名 4組計132名が思い出沢山の生活を過ごしました。

入学式から卒業式までわが2組33名素晴らしいキャラの持ち主ばかりで毎日が楽しい9カ月でした。

今でも学園でのいろんな行事が思い出されます。

入学後の鼓が浦での合同訓練 三木里での夏季訓練 北・南に分かれて行った修学旅行 運動会・水泳大会・駅伝大会などいろんな学園行事 思い起こせば切りがありません。

同窓会には副担任のM井教官も松山から若々しい元気なお顔で出席していただき学園でのいろんな思い出に夜遅くまで語らいました。

途中で 無理をお願いしてY田さんにプロも顔負けの手品もあり全員大喝采でした。

学園での出来事の話題にはきりがありませんでした。


とても残念なのは信越のO島さんが病気で亡くなられたことです。



近畿の何名から「第1回は熱海だったよね 2回目は京都鴨川荘でしたよね。今回は3回目だよね!」と

私はあったような気もしたし ?の気もした。

家に帰り どうだったか記憶をたどり 近畿の人が言うようにやったと思い出しました。 

第3回の世話人は本来ならば北陸S秋さんとHさんのはずだったので、みんなからほんの少し責められていましたが、S秋さんは「おらぁ 聞いてないぞ 知らんぞ」「二人ではとうていお世話も出来んぞ」と言われていました。(言われる通りです。)

今回の世話人には全員感謝・感謝です。

帰り際にみんな元気でいましょうね。元気でいれば又会えますからと言い残し、次回も東京・関東でお世話していただけないだろうかと私個人的にお願いして、私の両親が分骨してある京都東山の大谷廟にお参りして帰りました。

当日は義母の命日だったのでくノ一には墓参りは待ってもらい、駅まで迎えに来てもらい二人で済ませました。


次回も今回都合で参加出来なかった人とも元気な顔で再会したいと切実に願っています。





※残念ながら撤去された格納庫(鈴鹿ケーブルTVの鈴鹿海軍航空隊番組から)

コメント (4)
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