森の中の公園をランニングをしていて、途中歩く
ランニング中は走ること(動きやゴールなど)に意識がいき、周りも景色が通り過ぎていくので見るゆとりもなくなる。
速ければ速い程走ることへの意識が向くように思う。
ランニングから、歩きはじめた時は速さが遅くなり、景色もすぐには通り過ぎず見るゆとりができる。
そうすると、自分の歩くことより外の景色のことに意識がいき、見るたびに色々想ったり考えたりする。
そこから想ったのが
速いということは、何かの物事に意識や集中を向けやすくなる。なので余計な所に意識を向けずにそのことを突き進める。
しかし、周りが見れてないので、自分勝手に進めて周りに迷惑をかけたり、自分ばかりで進めようとする可能性もある。
逆に、遅いということは、周りが見れ、物事のバランスが取れやすかったり協調ができやすくなる。なので全体に合わせて進める。
しかし、周りを見すぎるので、自分より周りや誰かに合わて自分で進めていけなかったり(いかなかったり)、周りにばかりに頼り過ぎるか、振り回される可能性もある。
速いけども精神的な時間感覚は遅いというゆとりがあるということで、
速いことで自分で進めていける力もありつつ(行動力)、精神的にはゆっくりで周りも見れるゆとりから、間やバランスもとれ臨機応変の対応が選択できる。そこからまた速いに移せば対応力が上がると言えるのかもしれませんね。
そのような感じが、走ったり歩いたりしたときに浮かんできました。(あくまで今回私が浮かんできたことです)
こういうのも場を踏むことで、身に着けられるということもあるのでしょうね~。
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